Sleepyhead
岳×海+ジロ




「あ・・・・・・」
 日も沈みかけた土曜日の午後。海堂薫はいつものランニングコースの途中で、あまり見る事のない光景を見かけて思わず声を漏らした。
 橋の向こう側を、人が、人を、引き摺って歩いていた。
 どこかで見覚えのある制服は、確か。
「あれって、氷帝・・・・・・」
 そう海堂がつぶやいた時、半分潰されながら引き摺っている方の人影の頭が上がって。
「あぁっ!」
 叫び声。そして。
「かーいどーっ!」
 海堂の姿を見つけて、頭の上で手を振った拍子に背中に背負ったモノを落としかける。
 手を振るおかっぱ頭の小柄な人影が、氷帝学園3年・向日岳人であると気づいた海堂は、慌てて駆け寄り背中から落ちかけているモノ・・・いや、一応人らしきモノを支えた。
「わりーな、助かったぁ」
 岳人は、海堂が背中に背負っていたもの―――同じく氷帝学園3年でテニス部の芥川慈朗を支えている隙に、慈朗の下から抜け出してそのまま地面に座り込んだ。
「もー、信じられなくねー? ジロがいきなりテニスしにいくぞーとか言い出した癖に、行く途中で突然眠いとかって寝やがって」
「はぁ」
 寝てる人間がそばにいることなどまったく考慮しないボリュームでまくし立てる岳人に、海堂は生返事を返す。気にしたところで、寝ている慈朗が目を覚ます様子はまるでないのだが。
「さすがに道で寝てたらマズイかなーと思って背負ったはいいけど、コイツだんだん重たくなってくるしさー。ほんと、その辺に転がして帰ろうかと思ったくらい」
 成り行き上、海堂は背中から慈朗を抱きかかえるような形で、しゃがみこんだ岳人を見下ろす。
「あーあ、ったくマジ寝てんじゃん。ありえねー。どうする? ここなら芝生だし放って帰る?」
「いや、それは・・・・・・」
 慈朗のわき腹の辺りをつつきながら見上げて笑う岳人に、どう返事をしたものか海堂は迷って。
「俺が、抱えていきましょうか?」
 そう提案してみた。
 しかし、その提案はあっさりと却下されて。
「無理無理、こいつんち、結構遠いし。だいたいコレ抱えてバスとか乗るの嫌じゃねぇ?」
「はぁ、まぁ」
「だろ。いいよ、いつものことだし樺地に迎えにきてもらうか、跡部に車出してもらえばいいや」
 言うなり、ポケットから携帯電話を取り出した。
「あ、じゃあ芥川さん、そこのベンチにでも寝かせてきます」
「お、さんきゅっ」
 海堂は、川沿いにいくつか置かれたベンチの空いている一つまで、引き摺るようにして慈朗を運んで。
「よい、しょっと」
 ベンチに横たわらせようとした時に、足を強めにぶつけてしまったらしい。がたん、と大きな音がして眠そうに慈朗の目がうっすらと開いた。
「んあ?」
 気の抜けた声を発しながら、その目が海堂を捕らえる。
「あ、起きたんスか?」
 問いかける海堂に、慈朗の表情は相変わらず覚醒しないままぼんやりとしていて。
「―――ん? おめぇ、誰?」
「あ、と」
 単刀直入な問いかけに、どう答えたらいいのか、と海堂が思案する間も無く。
「ふわぁ・・・・・・ま、いいや。眠いし・・・・・・寝かせて」
 言うなり、慈朗はずりずりと体を動かして海堂をベンチに座らせると、その腿に頭を乗てまた眠る体勢に入ってしまった。
「え、いや、ちょ、あのっ!」
「ん〜?」
 海堂の静止の声にも唸るだけで目を開ける気配はない。
「あ、おいっ」
 海堂の声は届かず慈朗の呼吸は規則的なものに変わっていく。完全に寝入ってしまったようだ。
 はたから見れば、まるで・・・・・・膝枕しているようにしか見えない光景だ。ちょうどその時通りかかった、犬を散歩中のおばさんから注がれた明らかな好奇の視線に、海堂は俯く。
(絶対オカシイと思われた・・・・・・!)
 いくら夕方とは言え、白昼堂々制服姿の少年とTシャツに短パン姿の自分が膝枕する光景など明らかに異常である。
「あー!」
 海堂が恥ずかしさに頬を赤らめているところに、叫び声と共にようやく岳人が帰ってきた。
「オイ、ジロ! 起きろ! オマエ何してんだよ!」
 二人の状況を見て、とたんに岳人が慈朗の上に飛び乗る。
「ん〜・・・・・・うるさいなぁ・・・・・・ふわぁ」
「あ、オイ、こら! どさくさに紛れてなにやってんだよ! 海堂困ってんだろ、起きろって!」
「んー・・・・・・ねみー・・・・・・」
「わ・・・・・・」
 海堂の膝からなんとか慈朗の体を剥がそうと引っ張る腕に力を入れるものの、慈朗は負けじと海堂の腰に手を回してしがみつく。海堂の脳裏を、ほんとに寝てんのか? とちらりと疑問がよぎったけれど。
「いや、あの、ちょっとくらいなら」
 海堂は諦めて、慈朗の足を引っ張っていた岳人に声をかけた。
「ほんとごめんなー」
 ほんとうにすまなそうに謝る岳人に、海堂は首を振った。
「うち、弟いるんで・・・・・・こういうこと、たまにあるから」
 慣れてるんで、という言葉は、岳人の声に被さって消されてしまった。
「うっそ海堂って弟いんの?! あーでも言われてみればちょっとお兄ちゃんっぽいかもっ」
「そう、ッスか?」
 ろくに後輩の面倒もみていないし、同じ学校の連中からは言われたこともない言葉だけに、海堂は首を傾げる。
「うん、なんかねー、意外と面倒見よさそうなとことか」
 今日だって、ちゃんとジロ、運んでこうやって面倒見てくれてるし。
 笑う岳人に照れて、海堂は膝の上の慈朗を見下ろした。色素の薄い髪の毛があっちこっちに跳ね回っているのを、つい、指ですくって撫でた。こんなに柔らかくて癖のある髪の毛は、弟の葉末とも違って初めて触るな、なんてことを思いながら二、三度繰り返していると、慈朗の表情がさらに安らいだように緩む。
「あーあ、ったくジロばっかりずるいなぁ」
 それを見て、不貞腐れたように岳人が頬を膨らませた。
「ジロばっかりいい目みてやんのー」
「え?」
 岳人の言葉の意味が分からず問い返した海堂に、岳人は顔を近づけた。
「海堂、今度は俺にもしてくれよな、膝枕っ!」
「はぁっ!?」
 予想外の提案に、海堂は思わず体を仰け反らせた。体が動いたのが不服なのか、慈朗が小さく唸る。
「いやなの?!」
 海堂の反応に岳人が詰め寄る。
「あ、いや、あの、そういうわけじゃ」
「ならいいじゃん」
 言いながら、岳人は海堂の足元にしゃがみこむ。
「ジロにはさ、絶対眠りの神様がついてると思うんだよ」
「眠りの神様?」
 初めて聞く言葉に、海堂は首を傾げる。
「そう。だっていっつも眠い眠いって言ってどこでも寝ちゃうじゃん? それに、ジロと一緒にいるとやたらと眠いんだよね」
「はぁ」
「だから、絶対眠りの神様がいるんだって。で、その眠りの神様はなんか伝染するんだよねー。さっきまで全然眠くなんてなかったのにさー、なんかわかんねーけどすっげ眠くなってきた・・・・・・」
「え、あの、向日さんまで寝ないでくださ―――」
 慈朗の体にもたれかかるようにして目を閉じかけた岳人が、次の瞬間には飛び起きた。 
「あ、跡部来た!」
 おーい、と岳人が手を振ると、黒塗りの大きな車が滑らかに近づいてくるのが見える。道路脇で停車した車から、まずはスーツ姿の男が運転席から降りて。そして、後部座席の扉を開けると、氷帝学園テニス部部長の跡部景吾が降りてくるのが見えた。その後ろには、大きな人影。――同じく氷帝学園テニス部の樺地の姿だ。
 急ぐでもなく三人に近づいてくるなり。
「おい、岳人。俺を呼び出すとはいい度胸じゃねぇか、あん?」
 だるそうに岳人の頭を小突いた。
「しょうがないじゃん、ジロがこんなだもん」
「ふん。おい樺地」
「ウス」
 跡部は慈朗を一瞥すると、背後の樺地に一言声をかける。樺地は、返事一つで海堂の膝の上から慈朗を剥ぎ取ろうとした。
「んー・・・・・・」
しかし、ぐずったように唸った慈朗は海堂のシャツをつかんで離さない。
「え、っと」
「・・・・・・・・・・・・」
 海堂が困ったように樺地を見上げると、樺地もどうしたらいいのかわからないらしく跡部を振り返った。
「ちっ、世話のかかるヤツらだ。面倒だな、おまえは・・・・・・確か、青学の海堂、だったか?」
「ッス」
「おまえごと持って帰ってもいいんだが」
「持って帰るって、あの・・・・・・」
 本気とも冗談とも見分けのつかない跡部に、海堂は少し焦った。本当に一緒に車に詰め込まれかねない勢いだ。
「しかし、そういうわけにもいかねぇな。海堂、ジロを引き剥がせ。じゃなかったらおまえも連れて行くぞ」
 恫喝するような口調で言われて、海堂は背中に回った慈朗の指に触れた。子供のようにしっかりと海堂のシャツを握り締めている慈朗の指を、一本一本剥がしていく。
 まるで、小さいころの弟みたいだ、などと思いながら剥がし終えたところですかさず樺地が慈朗を持ち上げて肩に担いだ。
 その最中も、慈朗は起きる気配を見せない。
 しかし、そんな慈朗に驚いているのは海堂ばかりで、他の三人は見慣れたものなのか。
「あ、跡部! 俺もついでに乗せてってー」
「しょうがねぇな」
 まるで驚いた様子はない。
「海堂はこれからどうすんの?」
 一人だけ場の空気に馴染めない海堂を、岳人が振り返った。
「ランニングの途中なんで、走って帰るッス」
「そっか。んじゃ、海堂、またな!」
 岳人は、手をひらひら振って見せて、飛び跳ねるように跡部と樺地の後を追った。その途中で。
「膝枕! 忘れんなよっ!」
 ぴょん、と一際大きく飛び跳ねながら振り返って、海堂にそう叫んだ。


 翌日。
 海堂に膝枕を強要した慈朗は、そんなことはまったく覚えていなかったけれど。
「昨日はなぁんか気持ちよかったなぁ」
 その感触だけを、ぼんやりと思い出していた。











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