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勝郎→薫




 彼の、その目は険しいけれど冷たいワケじゃないと気付いたのは、いつだっただろう。
 鋭い視線のその奥には、誰よりも強い気持ちがあるんだって知ったのは、いつだっただろう。
 もう、思い出せないけれど。
 いつの間にか、忘れられなくなってた。
 同じ場所にいればつい目で追ってしまうし、家に帰れば今日見た彼の姿を思い出してしまう。
 思い出せば、なんだか息苦しくて胸が痛む。
 どうしてだろう、と考えて。考えて。考えて。
 多分、コレは。恋ってヤツ、なんだろう。
 そう自覚した瞬間に、心が挫けた。
 絶対に、言えない。
 誰にも、言えない。
 だから、そう思ったことすべてをぎゅっと全部飲み込んだ。
 そんな気持ちを抱いてしまったことすら、知られちゃいけない。
 ―――海堂先輩にだけは。



*  *  *  *  *  *  *



 すでに沈みきった夕日がわずかにオレンジ色に照らすグラウンドの隅で、僕、加藤勝郎は息も絶え絶えになってテニスコートのフェンスにもたれていた。
「もう……堀尾くんのせいだからね……」
「そこはレンタイセキニンだろっ!」
 いつもの堀尾くんの悪ふざけに巻き込まれていたところをタイミング悪く手塚部長に見つかって、恒例の"グラウンド10周"を言い渡されたのは今日の練習が終わる10分ほど前だった。
 悪いのは俺だけじゃねぇだろ、と言い返す堀尾くんも決して余裕があるわけではなく、だらしなく地べたに座り込んでいる。僕の横には、同じように息を切らせたカツオくんもいて、毎度のことながら三人揃って走らされていたわけだ。
 ホントにもうやめてよ、と諸悪の根源であるはずなのに一切反省をしようとしない堀尾くんに文句を言いつつ、よろよろとフェンスを伝って歩きながらベンチに置いておいたタオルを取りに行けば、ちょうどこれから自主練を始めるところだったらしい海堂先輩が、いた。
 ふらふらと近づく僕に、ランニング前のストレッチなのかベンチの脇に座りこんで柔軟をしていた先輩が気付いて顔を上げた。
「なんだ」
 ジロリと睨まれて、滅多に向けられることのない鋭い視線についびくついてしまう。
「あの、タオル……」
 見た目ほど怖い先輩ではないことも、桃ちゃん先輩や荒井先輩とのやり取りでわかってはいるのだけれど、どうしても挙動不振になってしまうのは、仕方ないと思う。
 普段まっすぐに見ることなどない海堂先輩の顔が、自分のことを見ていると思うだけで足がすくむような感触に、戸惑う。
 異常に早くなる心拍数は、恐怖心なんかじゃない。
 海堂先輩の視線は、刺激的過ぎるんだ。射抜くように鋭く、そしてキツそうに見える表情とは裏腹に向けられた視線は、熱を持っているみたいで。
「取りに……」
 震えそうな指先でベンチを差せば、その視線につられるように海堂先輩の視線も逸らされて。
 強すぎる視線から逃れられた、と小さくホッとしたのもつかの間。
「あぁ、これか」
 よっ、と掛け声をかけて立ち上がった海堂先輩が、ひとつだけ残されていた僕のタオルを手にとって。
「ちゃんと拭いとけ、風邪ひくぞ」
 言うなり、僕の頭にかぶせた。
「え、あ」
 うろたえる僕にかまわずに、海堂先輩の手がタオル越しに頭を掴んだ瞬間、僕はタオルで顔が隠れていることを最高に悔しいと感じるのと同時に、安堵した。
 海堂先輩が、今どんな顔をしていたのか、見れなかったのはすごい悔しいけど。
 多分真っ赤になってる今の僕の顔を見られなかったことは、ホントに良かった。
「は、はいっ!」
 くぐもった僕の声は、海堂先輩に伝わったのかどうか。
 視界はタオルに阻まれたまま、けれど目前の海堂先輩の気配はほんの少しいつもと違う息の吐き方を感じて、もしかしたら笑ってるのかもしれない、と。
 そう思って慌ててタオルを外した時には、海堂先輩はすでに背中を向けてしまっていた。
 ゆらゆらと揺れる海堂先輩独特の歩き方をする背中に向かって、僕は小さな声でありがとうございます、と告げれば。
 その声が聞こえたのか、すぅっと手が上がって。
 手を振った、ともただ腕を振り上げただけともとれるような微妙な動きを見せる。
 たったそれだけのことが、けれど僕にとってはとても大事なことで。
 思いっきり腰を折ってお辞儀をしてから、火照る顔をタオルで覆って背を向けた。
 堀尾君とカツオくんが待つ場所まで、ひたすら走る。
 さっきまでふらふらだったことも忘れて、笑顔で走ってくる僕に二人はぎょっとした顔をしているけれど。
「二人とも、早く帰る準備しようっ」
 まだ座り込んでいる二人に抱きつくように倒れ込めば、僕に下敷きにされた堀尾くんが痛いと呻いた。
 それを、コート脇で大石副部長となにやら話し込んでいた手塚部長にまた見られて。
「そこの1年。まだ足りないのか!!」
 さらに10周追加されそうになって、僕たちは慌てて後片付けをした。



*  *  *  *  *  *  *



 僕はこの日、切ないって言葉の意味を初めて実感した。
 誰に何を思われても。
 誰に何を言われても。
 やっぱり僕は、海堂先輩が好きです。
 この感情をどうする気もないし、どうにかできるわけでもないと、わかっているけれど。
 それでもやっぱり、好きなんです。
 だから、もう少しだけ。
 あなたに恋をさせてください。











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