レモンフレイバー |
せっかく佐藤と久しぶりに二人きりで逢えたというのに、外はあいにくの雨。 佐藤の帰りの電車の時間はすでに決まっていて、そんなに遠くには行けないけれど、学校と寮と練習場の往復ばかりの毎日の俺はこの辺りの遊び場には疎くて。 「どうしようか?」 新幹線への乗り継ぎがラクなこの駅を待ち合わせに選んだことを、少しだけ後悔しながら俺は佐藤を振り返った。 まぁ、天気が良くても俺が知っている場所なんて限られているけれど。 「渋沢は、どっか行きたいとこ、ないのん?」 「行きたいところ、と言ってもなぁ」 言われて、普段行く場所を順番に思い出してみる。 スポーツ用品店にも本屋にも特に用事は無い。それ以外で、この辺りにある店と言ったら、駅から少し歩いたところにあるオートレース関連の専門店くらいだが、そんなところに佐藤を連れて行くのも気がひけるし……。 結局どこも思いつけないでいると。 「それやったら、とりあえずマン喫でも行く?」 「マンガ喫茶?」 「うまくいけば個室やし」 佐藤の何かを含んだ笑顔の意味が、この時の俺にはまだわかっていなかった。 駅ビルのすぐ隣に建った縦長のビルに入ると、佐藤は慣れた足取りで奥へと進んでいく。狭い階段もベタベタとポスターが貼られた壁も、見慣れないもので。 「初めて来た」 「何が」 独り言に近い俺の言葉に、佐藤が立ち止まって振り返る。 「マンガ喫茶に」 言葉を補うように付け足せば、一瞬目を見開いた後。 「はぁ? なんや、渋沢、マン喫来たことあらへんの?」 心底驚いた、という顔をされてしまって俺も少しムッとして。 「別に、読みたいマンガなら誰かに聞けば持ってるし、高校にあがってからは、結構みんな自分の部屋になんでも持ち込んでるから、DVDもゲームも、誰かが持ってるし」 つい、言い訳するみたいに言ってしまう。 「そういうとこは、寮生活の醍醐味やな」 感心した風に言う佐藤に、あぁ、また自分らしくないことをしてしまった、と溜息をつく。 佐藤と一緒にいると、いつもの自分でいられなくなる。 たとえば、いつもならば俺がみんなをまとめる立場にいる。だから、さっきみたいに自分の感情を優先させて思ったことをそのまま口に出してしまうこともあまりない。まずは回りのみんなの様子を見てから、みんなの最大公約数が叶うことを前提に考えて、自分の言葉を選ぶ。 なのに、佐藤と二人でいると気が緩むのか。つい、佐藤の一言、一言に過剰に反応してしまう。 「なぁ、渋沢ぁ、ゲーム機選べるねんて。なんかやりたいのんある?」 小さく落ち込んだ俺をよそに、先にカウンターで受付をしていた佐藤に聞かれて、やっぱり困る。 「別にゲームはいいよ」 「ん、ほんならこっちのタイプにしといて」 佐藤がてきぱきと店員に部屋の希望を出すのをぼんやり見ている間に、受付は終わったらしい。伝票が挟まれているのか、渡された小さなクリップボードを手に、行くで、と手招きする佐藤の後を追う。 「んじゃ、簡単に説明だけしとこか」 言うなり、佐藤はあちこちを指差しながら不慣れな俺に店員よろしく店内の説明をした。 「あっちがドリンクバーで、飲み放題。んで、その辺雑誌で、あっちの棚が全部マンガ。もしゲームやりたいならそこに並んどるパッケージを受付に持っていったら出してくれる。DVDも同じで空箱を受付に持っていく」 俺は、軽く頷きながらその説明を一通り聞いて。そして、両側に扉が続く狭い通路を歩く佐藤が、その中のひとつの扉の前で、立ち止まった。 「そんで、ここが俺らの席」 見てみれば、佐藤が手にした伝票と同じ番号が書いてある。 「完全に個室になってるんだな」 「まぁ、目隠し程度やけどな、音は筒抜けやし」 確かに、そこかしこから話声が聞こえてくる。 「先に飲み物取って来るワ。何がいい?」 「え、あ、適当で」 聞かれて、何があるのかも判らない俺がとっさにそう答えれば。 「それが一番面倒やっちゅーねん、まぁええわ、待っとって」 悪態を吐いた割には笑顔で、佐藤は俺に伝票を預けて来た道を戻ってしまう。 とりあえず、形だけでも何か取りに行った方がいいのかな、と思い俺は場所を忘れないようにドアに張られた番号を確認してから佐藤の後を追うように本棚に向かう。 まぁ、とりあえず適当に……そういえば、今週のマガジンがまだ回ってきてなかったな、と思いながら雑誌コーナーに行き最新号を手に席に戻った。 そして、扉を開けてみれば。あまりに狭く仕切られた場所にどうしたものかと一歩仕切りの中に入ったところで立ち止まっていると。 「そんなとこ突っ立って何してんねん」 「あ」 グラスを手に戻ってきた佐藤にかるく膝で蹴られて俺は部屋、と呼ぶにはあまりにも狭い席の奥へと追いやられる。そして、そのまま流されるようにソファに座った。 佐藤も、テーブルにグラスを置くなり俺の隣に座る。 「ほんま適当に持ってきたで?」 俺の方に差し出されたグラスは、黒に近い色の炭酸飲料で、多分コーラかペプシのどちらかだろうと思う。一口飲んで、独特の甘さにペプシだ、と気付く。 「あぁ、いいよ、ありがとう」 ドリンクを取りに行ったついでに取ってきたのか、佐藤が脇に挟んで持ってきた雑誌の表紙に俺は驚いた。 「……何を読んでるんだ?」 笑顔の女の子が大きく載った、明らかに女子向けの雑誌だ。 「ん? 女の子向けのファッション雑誌」 さも当然のように言われて、俺は多分ヘンな顔をしてしまったんだろう。にやりと笑った佐藤が言葉を続ける。 「結構勉強になんねんで? 最近の女の子にはやってるブランドとかそういうの、知っとったらイロイロ話も弾むし。でもさすがに俺かて、自分で買うんは抵抗あるからな、こういうとこで見といたらラクやん?」 読んでいるのかいないのか判らない速度でページをめくっていた佐藤が、俺を見る。見るなり。 「あ、渋沢、ヘンな気ぃ回すなや。別に浮気したいとかそういうのんとちゃうからな?」 にやりと笑いながら言われて、俺は思わず赤面する。 「別にそういうわけじゃ……」 否定してはみたけれど、これじゃあまったく説得力が無い。 「ふぅん、ほんならなんでそんな顔しとんねん」 「どんな顔してるって言うんだ?」 手の甲を俺の頬にぐいぐい押し付けてくる佐藤をふり払いながら言い返せば。 「気にいらんっちゅー顔」 墓穴だ……。 いや、佐藤が言っているだけでそんな顔をしているとは限らない。だけど、そう言われてしまって、しかも何も言えずに黙り込んでしまっている以上、反論のしようもなくて。 「やきもち焼いてくれるのは嬉しいけどなー」 「―――っ! そ、それにしても。男二人でここはちょっと狭くないか?」 誤魔化したくて話を逸らしたつもり、だったのが。 「何言うてんねん。狭いからイイんやん」 やぶ蛇だった。 何時の間にか佐藤の手は俺の頭を捕らえていて、佐藤が今度は体ごと近寄ってくる。条件反射で後ろに下がろうとしたら、ソファの肘掛に倒されるような形で迫られて、けれど壁に囲まれているこの場所ではこれ以上逃げ場はない。 「こら、こんなところで何する気だ」 慌てて佐藤の体を押し戻そうと手を突っ張ってみるものの。 「みんなそんなもんやって。隣の声、聞いてみ?」 言われて耳を澄ませば、さっきまで聞こえていた女の子の笑い声が小さな喘ぎ声に変わっている。 「だからって……ッ」 「店も黙認してんねん。大丈夫、誰もなんも思わへんから」 「そんなこと言って、うわ、佐藤……!」 佐藤の体を押し返そうと伸ばした腕を掴まれて、そのまま口元に持っていかれた指を舐められて思わず声を上げれば。 「しっ、声大きい」 佐藤に怒られる。 いや、冷静に考えれば怒られるのは俺ではなくて、大きな声をあげられるようなことをした佐藤だろう、と判るのだが、思わず俺も黙ってしまって。 それがいけなかったのか。 「おい、ちょっと待てって、んっ」 隙を付かれたみたいに、その瞬間にはすぐ目の前に佐藤の顔が迫っていて。条件反射で目を閉じてしまったのが運のツキ。次の瞬間には唇に暖かな感触が触れる。 触れられてしまえば、久しぶりの感覚に抗う力が緩んでしまうからどうしようもない。 それに気を良くしたのか、しばらくは愛撫するように柔らかく動いていた佐藤の唇の動きが一瞬止まって、俺の舌先に何かが触れる。 ここ何ヶ月か、二人きりでゆっくりできるコトなんてなくてしばらくはしていなかったけれど、こういうキスも、初めてじゃない。 それでも久しぶりの感触は普段は鈍感だの性欲が足りないだの、藤代あたりに呆れられる俺にもかなり刺激的で、佐藤と一緒に居ると緩みがちな理性をさらに緩ませるには十分すぎるほど効果テキメンだった。舌を絡め取られてしまえば、漂う雰囲気と生めかしい感覚に流されるように俺は佐藤の背に腕を回してしまう。そして、体重をすべてソファに預けてしまえば、覆い被さるように体重をかける佐藤からもう抗えない。 「ぁ、……」 舌は絡んだままで、角度を変えるために離れた唇の隙間から漏れた自分の声に、とっさにヤバイ、と思ったのも束の間。すぐさままた佐藤の唇にふさがれて、喘ぐような声はくぐもって遠くなる。 いくら周囲から見えないとは言え、公共の場所でこんなことをしているのは良くない、と判っているのに。キスを繰り返すうちに、俺の頭もどこかおかしくなってしまったみたいに佐藤を止められない。 それどころか。 「そんな引っ張るなって、首絞まる」 まるで佐藤の体を抱き寄せるように佐藤のシャツの背中をぎゅっと握ってしまっていたらしい。 「あ、悪い」 慌てて手を離すと、佐藤も上半身をソファに投げ出した状態の俺の上から起き上がったからこれで終わりだと思ったのが間違いだった。 ほっとしたのも束の間。 「今度は何を……おいっ」 「え、こんなんなってんのにほっとくんか?」 言いながら邪魔くさそうにベルトのバックルを外すと、制止する間もなくジーンズのファスナーを下げて直に握られた。 「だからって、うわっ」 「なんや、色気ないなぁ、自分」 思わず声を上げた俺の声に、佐藤が笑う。 「もっとこう、可愛い声出したりとかしてくれてもえぇやん」 「そんなこと言ってる場合か、ほんとに洒落にならなくなる、っ」 本気でイきそうになって息を飲んで仰け反った俺の首筋を佐藤が舐めてくる。なんとも言えない感触に身じろぎすると、太腿に佐藤のモノが触れて。ようやく、佐藤も結構キツイ状態だってことに思い至って、俺は佐藤の背中を掴んでいた手を離して、その場所に移動させた。 自分ばっかりってのも癪だって気持ちももちろんあったけれど。 「俺はえぇって」 小さく否定された俺は、一体どんな顔をしてしまったのだろうか。 「されたくないんとちゃうで? そんなんされたら、俺我慢できひんくなるし」 笑って俺を見下ろす佐藤は、ちゅ、と小さく音を立てて頬に口付けながら。 「さすがに、ここで最後まですんのは無理やろ」 耳元で囁かれた。 「……それは」 最後まで、という言葉の意味が具体的にわからないけれど、多分それは男女のセックスみたいにもっと近づくことなのだろうと漠然と思って俺はなんて言葉を返すべきなのか、判らなくなる。 否定もできないし肯定もしづらい。 「だいたい、この店、シャワーあれへんし」 そんな俺の懊悩はお構いなしに軽く言う佐藤に、シャワーがあればいいとかそういう問題か? とも思ったけれど。 「ほんとに、いいのか?」 太腿にあたる堅さのほうが、その……気になるというか。 「まぁ、俺も結構キツイけどなー」 重ねて問い掛ければ、ちらりと見せた本音。あたりまえだ、佐藤だってそういう気分になっていれば当然、されたくないわけはない。むしろ、俺だけイかされることの方が複雑だ。 「じっとしてろ」 俺は、覆い被さる佐藤の体を軽く押し返して、自分と佐藤の体の間に手を差し入れる。そのまま、佐藤のズボンの腰に手をかけて、ボタンとファスナーをおろした。腰の辺りからそっと差し込んだ手に触れる佐藤の体温に少し躊躇したけれど。下着に手をいれて佐藤の既に強張ったものを掴めば、佐藤が息を飲んだのを感じて。 自分のじゃない誰かのものに触れるのなんて、初めてだったけれど。その辺りは自分と同じモノだ。いつもするみたいに、握りこんで擦り上げた。 「ん、えぇよ……」 耳元で聞こえる佐藤の吐息に、体が熱くなる。 手の中の熱さと、耳元に感じる熱さに、佐藤に煽られて限界近い体温をさらに上昇させられそうになって、俺は慌てて小さく深呼吸をしてその熱を少しでも体の外に吐き出そうとするのだけれど。 「あ、佐藤、っ」 「一緒にイくんやったら、ちゃんと擦って」 与えられる刺激のほうが強くて、つい動きが止まってしまう俺の手を促すように、俺のものを掴んだままの佐藤の手が、俺の手に触れる。 つい閉じてしまっていた目をあければ、間近に佐藤の顔が迫っていて。 俺は、何かを伝えようとしたのか。 開いた口を、唇で塞がれた。 何も言えず舌を絡め取られながら、一層激しく擦り上げられて。 「―――――っ」 イく瞬間、思わず漏れそうになった声は佐藤の唇に遮られた。 「どしたん?」 「なんとなく、臭いが……」 自分の袖口に鼻を近づけてくんくんと嗅いでみる。 仕方の無いことなのだけれど、気になる。服に付いてないか、ソファにこぼしてないか、散々確認してから漫画喫茶を出た。その足で、佐藤を見送るために新幹線のホームで新幹線にやってきていた。佐藤の乗る列車を待ちながら、さっきまでの行為が頭をよぎっていたたまれなくなって、俺は柄にもなくどこか浮ついて落ち着かない。 「だまっとればわからんって」 そう佐藤は言うけれど、他人が見たら雰囲気で判ってしまうんじゃないかとか、なんだかヘンな風に自意識過剰になってしまう。……世の中の大人ってのは、あんなことやもっとスゴイことをしても平然と電車に乗って家に帰ってるのか、となんだか尊敬したい気持ちになってくる。 今日、寮に帰ってまともにみんなと顔を合わせられるだろうか。 「あ、そや」 そんなことをぼんやり考えていると、佐藤が鞄のポケットを漁り出した。 「そんな気になるなら、コレ舐めとき」 そして、取り出したのは飴玉? 「行きがけに隣の席やったおばちゃんにもらってん」 小さな黄色い袋を差し出されて、俺は思わず受け取ってしまった。微かに触れた指先に佐藤の体温を感じてさっきまでの密接な距離感を少し思い出して切なくなるけれど、それはほんの一瞬の出来事。 「ほな、気ぃつけて帰れな」 「あぁ、おまえもな」 当然、こんな場所では。 抱き合ったりなんて、しない。 手をつないだりも、しない。 離れたくない、なんて言わない。 ただ、向かい合って目を合わせて、他愛無い別れ方だ。 「次は、アレかな、U-17の選抜合宿がもうすぐやったっけ」 「そうだな」 いくら俺が佐藤を好きだからって、自分の気持ちをただ闇雲に自己主張するだけの行為で佐藤を困らせるつもりはさらさらない。それでも、別れがたい気持ちは同じだ。 多分、いつもと違う顔をしてる。 佐藤も、いつもの強気な笑顔の裏側に、なんだか違う色が見え隠れしてる。 「ほんなら、またメールするワ」 佐藤が乗り込むのと同時に、ホームの発車のベルが鳴り響く。 俺は、一歩下がってデッキに立つ佐藤と見つめあう。 この時間が、本当は一番嫌いだ。 次の約束があるとかないとかそういう問題ではなくて。最もお互いの距離を実感させられるこの時間が、嫌い。 そして、扉が閉まって発車のベルが鳴り止んだ。 佐藤が笑顔で手を振るから、俺も笑顔で軽く片手を上げた。 いつもいつも一緒にいたいとか、そんなことを望んでいるわけではない、と思う。お互いの毎日とお互いの未来を尊重しようという気持ちもある。 だから、俺達は別々の場所で自分達の未来のために頑張ってる。 けれど、別れの瞬間の寂しさだけはどうにも拭いされなくて。 古いドラマのワンシーンみたいにホームを走って新幹線を追いかける、なんてことも当然しないけど。それでもなんだかノスタルジックな気持ちになって、俺は新幹線が見えなくなるまでそのまま見送った。 佐藤を乗せた列車の姿が見えなくなってから、俺は手の中に残された黄色い小さな袋の封を切って、外袋と同じ黄色の飴玉を口に含んだ。 口の中にじわりと広がる砂糖の甘さとレモンの酸味は、なんとなく、俺達の関係みたいだな、なんて思う。 ちょっと甘くて、ちょっと切なくて。 そんな風に思ってから、あんまりに少女マンガチックな自分の思考に苦笑する。 「帰りに飴買って帰ろう……」 何考えてんだかな、と思いながら。そう小さく呟いて、俺は自分の乗る在来線のホームに向かう。 次に逢って、そしてまた別れるときにも同じ気持ちになるのだろう。 それでも。一緒に過ごせる時間は大切だから。 口の中で転がした飴玉は、レモンの酸味が消えて甘さだけが残った。 いつまでこの関係が維持できるのか、なんて先のことはさっぱりわからないけれど。それでも、ちょっと甘ったるい自分達の関係が心地いいから。 「またな、佐藤」 胸を柔らかく締め付けられるような、そんな錯覚を覚えながら、最後にもう一度だけ列車の走り去った方向を振り返った。 |