Love is? |
薄暗がりの部屋の中。いつも、一人きりの時間を過ごしている、空間。 そこに、今日はもう一人分の体積。 カーテンが開け放たれた窓の向こうには、闇に閉ざされかけた道を淡く照らす外灯が見える。 聞こえるのは、エアコンの送風音と、二人の息遣い。 遠くに、車の走りぬける音が断続的に続いている。 そして、まったく予測していなかったこの部屋の珍客、佐藤成樹。 俺――不破大地から見たら、同じサッカー部に所属しているからと言って個人的に何か話したという記憶もない。確かに、同学年のほかのヤツよりは身近に接していないでもないが。 だからと言って、放課後をお互いの家で過ごすほど、親密な関係を築いた覚えもない。そもそも、俺には友情とかトモダチとか、そういうモノの存在がイマイチ理解できないのだ。 言葉はもちろん、知ってはいる。 人間関係の一種だ。 しかし、そんなものになぜ人はそんなに固執する? 一人の時間を削って二人で過ごす時間が大切だ、などとどうして思えるんだ? いや、誰かと共に居ることが無駄ではなく、そこには新たな発見がたくさん隠れている可能性があるのだという事は、風祭に興味を引かれてサッカー部に入ってから、幾度となく経験してきた。そこでは、今まで俺が一人で考察をしていただけでは知り得なかった現象が多数存在したし、それぞれに知的好奇心を刺激される魅力を持っていた。 確かに、人の生活において、他者との接触は刺激を受ける意味でも必要だ。 しかし。 目の前のコイツが俺に求めていることは一体なんなのか。 佐藤は、何が面白いのか人の本棚を覗き込んでは引っ張り出し、へーだのほーだの感嘆詞を呟いてそれをまた本棚へ戻す、という行為を繰り返している。 考察するには情報量が足りない。仕方がないので俺は床に座り込んでそんな佐藤の後ろ姿を眺めている。 「なぁ、不破センセ、これって何なん?」 佐藤は、床に落ちていた一冊の大学ノートをひらひらとさせながら問い掛ける。 「あぁ、それか。俺の考察用ノートだ」 基本的には脳味噌一つで考察を続けるのが俺の信条だが、それでも大きな疑問にぶつかった場合はさすがに何かに書き留めなければまとめられなくなる。そんな時に使っているノートなだけに、佐藤が中身を見たところで到底何が書いてあるかなど理解できないだろう。 「ふぅん、ってことはこれが不破の頭の中みたいなモンやな」 「まぁ、そんなところだ。 そんなモノを見てどうする?」 パラパラとページをめくる佐藤の行動を俺はいぶかしむ。 「だって、オマエが何考えとんのかなんて、ぶっちゃけ外から見たらなんもわからへんで? せやから、不破の頭の中、どうなってんのか見れるモンなら見てみたいやん」 その声音は笑っていたけれど、表情は声に似合わず真剣にノートを見つめている。 なぜ、俺の頭の中が見たい? 「 俺から言わせれば、佐藤の頭の中の方が理解しがたいが?」 こうやって、俺の家に押しかけてみたり。 その俺の言葉に一体何を思ったのか、佐藤は顔を上げると俺の目をじぃっと見詰めた。 「俺の考えてること、知りたい?」 にやりと笑うと同時に、手招き。 「不破、ちょっと来て」 「どうしてだ?」 「えぇから、ちょっと来てみ」 仕方なく、俺は佐藤の側に近寄る。部屋が狭いワケでもない、こんなに近付く必要などないだろうに。 俺が近寄ると同時に、佐藤も俺に近付いて。 眼前に迫る佐藤が口唇を笑みの形に歪めたのを見て取って、睨み付けたと思った瞬間。 佐藤の手が俺の首に廻り、俺の身体は引っ張られ。そして、目を閉じた佐藤の顔が。近付いて。 触れた。 ・・・・・・一体、なんだ? 軽く触れるだけで離れたそれ。何をされたか一瞬理解できず、俺にしては珍しく考察が止まった。空白の思考。その隙に、何故か俺は床に押し倒されていた。 その時点で始めて、さっき俺の口唇に触れたのは佐藤の口唇で、それは俗に世間で言われる「キス」というモノだと気付いた。 気付いて。 俺を押し倒したままの佐藤にようやく視線を向ける。 目の前には、俺を見下ろす、金色に近いほど脱色された髪を垂らした佐藤の顔。 いつものように唇には笑みを貼り付けて。けれど、眸の鋭さは尋常じゃない。 「佐藤」 行為に対する否定を込めてその名を呼んでみるけれど、俺を見下ろす眸の色に変化はない。 「何のつもりだ」 問い掛ける。鋭い二つの眸を見つめ返して。 フローリングの上に毛足の短い絨毯を敷いただけの床に触れている肩甲骨に重力と上半身の重さが加わってギシギシと痛い。 「この状況や、お前もわかるやろ」 いつもより、気持ち低めの佐藤の声が降ってくる。 何をどう解れというのだ。 知識として、ないわけじゃない。経験は・・・あるともあまり言いがたいが。けれど、お前が俺に対して取る行動としては、間違っているんじゃないのか? 佐藤。 もし、これが俺の思い付く限りの理由によるものならば。 貞操の危機? 下半身は体重を掛けるようにして佐藤に押さえつけられている。 太股に触れる佐藤の感触が、微かに堅い事がこの状況の全てを理由付けているのだとしたら。 俺は、左手を無言で持ち上げて、拳を繰り出した。佐藤の顔面目掛けて。 しかし、佐藤はほんの少し身体をひねってそれを躱し、あまつさえ手首を掴んで二度目の攻撃を阻止した。 なんなんだ、コイツは。 目の前で笑みさえ浮かべるこの変人を、今まで何人もの同級生、上級生をすくみ上がらせてきた眸で睨んだ。確率的に9割の人間が一瞬怯むなりたじろぐなりの反応を見せた角度で。 「睨んだって俺は別に怖くないで?」 けれど、その顔にうっすら浮かべられている笑みは変わらない。 「俺は楽しいし、お前は気持ちええし、言うコトなしやん」 表情はぴくりとも変らないまま、その眸に湛えた熱だけが凝ったような、ジリジリする視線に見下ろされる。 掴まれた左手を首に回されて、まるで俺が抱きついているみたいではないか。 風祭といい、水野といい、こいつといい、どうしてこうも非合理的な理由のない行動に走るのか。 佐藤は、この状況の何が楽しいというのだ。 いや、楽しいとは何なのだ? 一瞬の考察。 その隙に佐藤の右手が俺の下腹に触れた。 布地の上から性別を主張する象徴の形を確かめるように。 とっさに蹴り上げてその身体を退けようとしたが、体重を掛けられている所為だろう、思うように動けない。 もう一度、俺を見下ろす眸を、見返した。 この佐藤の行動から導き出される答えは一つ。 「お前はホモなのか?」 「肯定すれば、お前が俺のコト認めてくれるんやったら、ホモでもえぇで、俺は」 笑いを含んだ佐藤の言葉が降り注ぐ。 「悪いが俺はホモじゃない、同性愛というのは同じ嗜好の者同士が楽しむものだろう」 「じゃあなんや、オマエは俺にこうやってされるのは嫌なんか?」 佐藤の指は器用にズボンの前をはだけさせていく。そして、下着越しに握られた。 「おい」 「嫌やなかったらえぇやん」 俺の身体に覆い被さるように近付いて、耳元で囁かれる。そして、前後に擦られてしまえばそこは他人に与えられる刺激に正直で、じわじわと快感が下腹部に落ちていく。 「なぁ、不破センセ」 与えられる刺激に俺のものも硬度を増していく。それを確認するように手のひらで確かめながら、佐藤は俺を見て、言う。 「性別なんぞ、ちっちゃいコトやと思わんか?」 「・・・・・・っ、単純計算で2分の1の確率だな」 知らず知らず早くなる心拍数につられて呼吸が乱れているのを感じながらも俺がそう答えると、 「しかも、人間が一生のうちに出会える人間の数なんか限られとるやろ?」 もっともらしそうにそう言って、佐藤は一度俺の下腹部への刺激を中断して、今度はシャツのボタンを外し始めた。 「で、それでどうして佐藤は俺のシャツを脱がしているのだ?」 「あーもう、面倒くさいやっちゃな。俺はオマエとセックスしたいんやけど?」 「意義あり」 「却下」 「どうして俺が佐藤とセックスをしなきゃならんのだ」 「俺がしたいから」 「・・・・・・なんの理由にもなってないな」 「だから理由なんてどうでもえぇねんて。不破も嫌やないんやろ?」 「嫌に決ま――――」 自分の意思に反して体をいじられることを嫌がらないヤツが居るわけないだろう、と反論しようとしたら唇を塞がれた。 開いていた口の間から何やらやわらかいものが捻じ込まれた・・・・・・舌か? 思った瞬間。 「いてっ」 佐藤が突然起き上がってのけぞった。 俺はその隙に体を起こす。 「舌噛むなや、ったく容赦ないなぁ」 意識はしていなかったが、口の中に入れられたモノが何か確認しようとした時に、どうやら俺は佐藤の舌を噛んだらしい。 「・・・・・・自業自得だろう」 だからと言って俺が罵られるいわれはない。そもそも、最初に無理矢理俺に対してそんなことをしたのは佐藤だろう。 「おまえが悪い。だいたいなんで突然俺とセックスするなどという話になるんだ?」 「そんなん、オマエが好きやからに決まっとるやん」 「―――――は?」 「だから、俺は不破のことが好きなんやって」 「そんな話は初耳だ」 「そらそうや、今初めて言った。ホンマはもうちょい雰囲気作ってそれなりにキチンと言うつもりやってんけどなー」 「どういうことだ」 「不破、好きや」 真正面から俺の目をのぞきこむ佐藤の眼球に自分が映るのを見慣れないな、などとぼんやりと思いながら聞いた佐藤の言葉はまったくもって理解不能だった俺は、佐藤の頭を両手で押しのけて完全に佐藤の手から逃れるなり、胡座をかいて床に座りなおす。 一番考察に集中できる姿勢だ。 「ちょっと考えさせろ」 「えぇよ、いくらでも考えとって」 けれど、俺のそんな態度にすらお構いなしに俺のシャツのボタンに手を伸ばしてくる。 「だから考えさせろと言っているだろう」 「だから考えとってえぇって」 言っていることとやっていることの整合性が取れていない佐藤の行動に、呆れて俺は佐藤の腕を叩き落した。 「触るな、気が散る」 「えー、しゃあないなぁ」 ようやく、諦めたらしい佐藤が大人しくなったので、俺はとりあえず乱された服を調えて、すぐに考察を始めた。 今日の佐藤の言葉。 佐藤は俺に何をした、そして何を言った。 キスをした。 セックスがしたいと言った。 そして、好きだと言った。 俺は佐藤にホモかと問い掛けた。 佐藤は俺とセックスができるのならばホモでもかまわないと言った。 そして、俺に聞いた。 触られるのは嫌か、と。 考えてみれば、そんな風に俺の身体に障ったのは佐藤が初めてだ。嫌かどうか以前にこれまで家族以外の人間が身体に触れることすらなかったことを思い出す。その家族でさえ、近頃では爺さん以外は滅多に会うことすらない。 そんな現状を考えれば・・・・・・触られること自体がなくなっているわけだから、今の自分が他人に肌を触られることに嫌悪感を抱いているのかどうか、試してみないことには判らないかもしれない。 と、なれば。 「試してみるのも悪くはないか」 暫定的ではあるにしろ、結論が出たところでようやく足が重たいことに気づいた。 見下ろせば、太ももに佐藤の頭が乗っていて、当の佐藤は眠っているように目を閉じている。 「おい、起きろ」 「ん・・・・・・」 本当に寝ているのか? まったく、何をやってもはた迷惑なヤツだな。 「俺はオマエを好きか?」 もしも本当に寝ているならば、答えが返ってくるはずもないと思いつつも、そう問い掛ける。 こんな勝手なヤツに振り回される自分にも疑問は残る。どうでもいいと思うなら、それこそ放置しておけばいいのだ。けれど、自分も何故構う。 「まぁ確かに俺も嫌いじゃないな」 疑問は多々あれど、こうして一緒にいるのも別に苦ではない。 生え際の黒い色が少し見えている髪の毛に指を絡めて前髪を掬って滅多に見えない額を露にすれば、その寝顔は年相応に幼く見える。 その途端に、佐藤が目を開けて笑って。 「好きやで」 また、俺に自分の好意を告げる。 「起きていたのか」 内容から察するに、さっき俺が呟いた問いへの答えなのだろう。ということは、そもそも寝たふりだったらしい。 「いてっ」 俺は、前髪を掴んだままの指に力を入れて引っ張りながら足をずらして、支えを無くしたところで手を離す。佐藤の頭はゴンッという音とともに床にぶつかり、たまらず声を上げた。 しかし、それくらいのことはなんとも思わないらしい。 ・・・俺の経験上、多少痛い思いをすれば泣いて逃げてしまうものだと思っていたが。そういった確率的な行動パターンは佐藤には当てはまらないらしい。 「考えるの、終わったん?」 佐藤の声はさっきとまったく変わらず、俺もいつもと変わらぬ声で答える。 「あぁ」 「で、結論は出たんかい」 「とりあえずは、だな」 後頭部をさすりながらも、床に転がったままの姿勢で俺を見上げる佐藤の顔を真上から覗き込んで、さっき佐藤がしたように俺も佐藤の目を覗き込んだ。 「俺も佐藤のことは嫌いじゃない」 佐藤の腕が俺の頭を掴む。引き寄せられて、俺と佐藤の距離が縮まる。その行為にも特に不快感はない。 「かと言って、佐藤がしたいというセックスをしたいのかと問われると別にしたくはない」 けれど、自分の中ではそれ以上の感情はないのも事実だ。不快感がないことと性的接触を持ちたいと思うことはまったく別の感情だ。そもそも、セックスの経験事態がないのだからやりたいとかやりたくないの問題ではない。 「まぁでも、セックス自体、いまいちどんなものか判っていないところもあるからな」 正直にそう告げれば、にやりと笑った佐藤が上半身を起こして近づいてくる。 「ほんなら、俺と試そうや」 口を開けば息すら触れる距離でそう言う佐藤の意図は今でも理解に苦しむが。 「判らない以上、試してから判断するべきだと俺も思っている」 「なら、今から試そうや」 言うなり、唇が触れそうになって俺は佐藤の額を手のひらで押しのけた。 「しかし情報が足りないな。男同士のセックスなど考えたこともなかったからまったく知らん。何をするにしてもある程度の予備知識は必要だろう。まずはそれからだ」 「そんなん俺が実地で教えたるって」 言うなり、腹筋だけで勢いよく立ち上がる佐藤を避けた俺は、その拍子に体ごと捕まえられて抱きつかれた。体温を感じるようなこの体勢も、不慣れで落ち着かないし必要性がわからないとは思うが不快感は、ない。 そう思いながら、俺も佐藤の背に腕を回してみた。 腕の中に人がいる感覚とは、奇妙なものだ。けれど、不快感がない、というだけでいいものなのか? 俺はあまり得意でないが人間心理というものを考えてみる。恋愛小説を読んだことはあるから知識としては知っている。それらの書物には、表現方法はどうあれいずれも「行為」と「好意」は等価のものだと書かれていたように記憶している。好意の度合いとして、好きだと言われて嫌いではないが好きでもないと言う相手と性交渉を持つのは、倫理的にどうなのだ? 快楽主義という観点で言えば、相手が自分のことを好きなのかどうかなど関係がない。となれば、そもそも「好きだ」などと宣告する意味もなくなる。しかし、佐藤がそれを告げたということはそこに何か意味があるということだ。 それならば、快楽主義的に何も言わず何も聞かず性交渉を持つのは・・・・・・よくないことではいのか? その推論が正しいのならば、俺の気持ちが重要になるんじゃないのか? 「試すのはかまわないが、お前は俺を好きなのだろう? 逆に俺はお前とのこういった性的接触を含む行為にさしたる不快感がないというだけで別に積極的に接触をしたいと思っているわけではないぞ。それでいいのか?」 自分では判断のつかない疑問を佐藤にぶつければ。 「それって、俺は不破のコト口説いてもえぇってこと?」 目を見張って驚いた後に、佐藤の表情が変わる。・・・・・・風祭のする顔とはだいぶ違うが、これも笑顔の一種だろう。 「佐藤がすることを抑制するつもりはない。好きにすればいい」 どうしてコイツも笑うのだろう、と思いながら佐藤の言葉の意味を考えつつそう答えれば。 「ほう、言ったな。絶対俺に惚れさせたる」 そう言いながら佐藤の顔がまた近づいてくるから。 「いてっ」 今度こそ、容赦なくその腹に一発、拳を入れた。 方向性は、見えた。しかし、最終的な結論はまだ出ていない。 「急ぐな、ばか者」 そう言ってやれば、また耳元で囁かれる。好きだ、と。 好き、の言葉のもつ意味は、理解した。 けれど。 「だから、どうしろと言うのだ」 好き、という言葉の効力は、まだ未知数だ。理解できないものは、使えない。 「俺は、オマエに好きとは言わないぞ」 「えぇよ、今はそれでも」 いつか、絶対言わせたる。 佐藤の言葉は、吐息混じりに耳に触れた。その感触が、身体の中の何かを呼び覚ますような不思議な感覚を覚えたけれど、それも一瞬のことでそんな不確かなものはすぐに消えてしまう。 まだ、判らない。 けれど、いつか、わかるのだろうか。佐藤と一緒にいれば。 |