NO MORE TO SAY  #1




 百人も客が入れば苦しいほどの、狭いライヴハウスを埋め尽くすのは、人々のざわめきと淡い電灯。そして、邪魔にならない程度のヴォリュームで流れるBGM。最前列を陣取り、なにやら騒いでいる女の子達もいれば、壁際でかったるそうに座り込んでいる集団もいたり、と椅子すら出されないスタンディング形式の客席で、皆、無法地帯さながら勝手気侭に時を待つ。
 開演時刻を、既に十分程過ぎている。ステージ上で準備をしていたローディーが袖に引っ込むと、にわかにざわめきが大きくなる。しかし、BGMが止む気配はまだない。それでも、気の早いファンは思い思いにお目当てのメンバーの名前を呼び始める。その声が段々と大きくなり、ファンのボルテージが上がりかけたその時。
 客電が落ち、スピーカーから流れてくるのは不気味な電子音を散りばめた、妖しげな雰囲気を醸し出す、いつものSE。ヴォリュームは先刻とは比にならないほどだ。そして、これが彼らが現れる合図。
 きゃあという黄色い声とメンバーを呼ぶ声が、一層大きくなる。それに相俟って、明かりのないままステージ上に本日の主役達が登場する。
 まずは、ドラムの成樹。レザーのスリムパンツに白のシャツというシンプルかつラフな印象の彼は、そのままドラムセットに座り、スタンバイする。最年少らしく、まだあどけなさが抜けない可愛気のある顔に、目元にポイントを置いたキュートなメイクを施している。その彼が、時折掛けられる声に、表情は変わらないながらもお辞儀を返している様子は何処か微笑ましい。
 続いてベースの三吾が、左手を軽く振りながら観客の声援に応えるようにして、現れる。背中半分まで伸びた赤茶色の髪を一つに括り、黒のTシャツの上に迷彩柄のシャツをはおり、同じく迷彩柄のダボッとしたパンツにごつい安全靴系のブーツを履く姿は、いかにもいかついパンク兄ちゃんな風情だが、ファンの呼びかけに笑顔で対応しているあたり、意外と人懐こい様だ。
 そして、ギターの弓生。モスグリーンのボンテージパンツに黒のTシャツと服装こそラフに見えなくもないものの、チューナーと向かい合い、客席に向けられた背中は、近寄りがたささえ感じられる。
 黒のアイラインを入れて、ただでさえシャープな眦を更に鋭く見せ、その上に銀縁丸眼鏡を掛けた彼は、怜悧で寡黙な雰囲気を漂わせている。遠慮深げに小さく名前を呼ばれても、全く相手にする気がないのか、そういうキャラクターなのか、何の反応も示さない。しかしファンもそんな事は承知の上。特に不服を申し立てる訳でもない。
 各メンバーの最終的なチューニングも済み、後一人の登場を残すのみ。
 そして、最後にヴォーカル、聖。素肌の上に黒いエナメルの、丈の短いジャケットをはおり、同素材のホットパンツと膝上までくるロングブーツという露出度満点の出で立ちに、前列にいるファンから歓声が上がる。その様子を見て、ばっちりメイクした顔を笑顔に崩す。真紅の口紅がひかれた口唇を、ニッと小悪魔的に歪める。そのコケティッシュな笑みに、また客席から黄色い声が上がる。
 メンバーを見やり、準備OKなのを確認して、聖はマイクに手をかけ、俯いた。SEが途切れ、一際高い歓声が上がる。
 今夜はTeufelの初ワンマンライヴ。また、二ヶ月ぶり、ということもあって、ファンの盛り上がり方も尋常ではない。
 暗闇のステージから、地を這うが如く、重低音なベースラインが鳴り響く。そこに、軽快で弾けるような小気味良いドラムが加わり、歪められたギターのマイナーコードが被さる。
 視界を一瞬閉ざす程明るく、ライトが点灯される。ようやくステージ上のメンバーが光の下に晒されると、聖は俯いていた顔を上げる。マイクを鷲掴みにして、スタンドを後ろへ押しやり、客席に突っ込みそうな勢いで唄い出す。ズンっと腰に響くバスドラムに絡むうねるような三吾のベースは低音を効かせながらも、ギターが奏でる聴きやすいメロディーラインに観客の感性を揺さぶる。そこに、悪ガキっぽい、キャッチーなヴォーカリゼーションを発揮する聖は、観る人を魅了して止まない、カリスマ的存在。客を煽る仕草一つすら、視線を釘付けにさせる。
 ステージを照らすライトは目まぐるしくその色を変え、照らし出されるメンバーは狭いステージ上で、様々な表情を見せる。
 身体全体で音を叩き出すかのように、腕を振り上げながらリズムを刻む成樹。腰を低く落とし、時に激しく首を振りながら、時には客席に顔を向け、観客を煽りながらうねり、としか言い様の無いグルーブを弾き出す三吾。そんな三吾とは対照的に、何処か遠くの一点を見詰め、ほとんど無駄な動きもなく、無表情にコードを鳴らし、また自分の指先を静かに見つめて、フレーズを紡ぎ出す弓生。
 聖は、そのカリスマ性を存分に振りまき、変幻自在に様々な声色を聴かせる。
 ポップでキャッチーな曲では何処までも明るく、ダークでゴシックな雰囲気のある曲では、イコライザーをかけたような、歪んだ声で。そして、それらを表現する聖自身もまた、多彩な表情を見せる。
 後ろにいる成樹を振り向き笑顔を交わす。間奏では、ガンガン首を振っている三吾と向かい合い、それに合わせて自分も頭を振る。くるくると目まぐるしく変わる聖は、観る人すべてを惹きつける存在感を持っていた。そして、それを感じているのは客席だけではなくて…。
 クールに演奏を続けていた弓生に、聖が近づく。唄いながら、弓生の肩に手を回し、ある一点を見詰めたまま動かない弓生の眸を真っ正面から覗き込んで笑いかける。流石にそこまでされては、弓生としても無視を決め込む訳にもいかず、ステージに現れてから初めて、表情を動かした。聖と一瞬視線を絡ませ、片方の眉を器用にヒクっと上げる。そんな些細な変化すら珍しい弓生に、聖もにっ、と笑い返して。
 だが、弓生は、次の瞬間にはもういつもの冷徹鋭利なポーカーフェイスに戻っている。それでも諦め切れない聖は、まだしばらく、弓生に張り付いて唄っていたけれど。もうそれ以上は弓生も構ってはくれない。それが、弓生のステージ上でのスタイルであり、また、ルックスに違わない彼らしいパフォーマンスだ。
 分かってはいるけれど、聖は寂しく感じていた。

 わいわいとライヴを楽しむ聖にとって、弓生は全く初めて出逢った異質な存在だった。
 聖は、計算されたライヴほどつまらないものはない、と信じていた。しかし、弓生は構築された様式美のようなスタイルのギターを弾く。そんな弓生がほんの一瞬でも、表情を緩めた事自体が奇跡的であり、聖の存在性の特別さを顕しているようなもの。
 弓生にとっても、聖はそこにいるだけで華やかな印象を受けるような、強烈な個性を持った、願ってもいないヴォーカリストだ。だから、弓生は聖が自分に向ける視線に、応えているつもりであった。自分のスタイルである、寡黙で独自の世界観を常に持ったギタリストを、ステージ上では演じる事を好む彼が、まがりなりにも反応してみせたのだ。
 しかし、聖には満足できない。

 聖は弓生から離れて、センターへと戻り、客を煽り、唄い続ける。
 前のめりに、体半分を客席側に投げ出した聖の、露になった素肌を少しでも触ろうと、ファンが手を伸ばす。
 激しい演奏は続いている。ファンのヴォルテージもステージの温度もぐんぐんと上がっている。
 けれど、頭の片隅の、理性を捨て切れない部分で、聖は考えていた。
(ユミちゃんはどうってことないんやろうか…)
 俺は、ユミちゃんに触れたくて、ユミちゃんにもそんな気持ちでいて欲しくて――









ざわついたこの胸の中

夢の中包まれていくよう

目の前の小さな影が

僕の中に襲いかかるよ

この世の全ての光を

封じ込めることもできる

少しずつ時を隔てた

この想いがゆらゆらゆれてく










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