Blindly Mind #4
手塚×海堂前提 忍足×海堂




 座って待ってて、と言われ。
 ベッドに背を持たれかけさせて座りぼんやりしていると、忍足さんが両手にマグカップを持って戻ってきた。
「ほら、これ飲んで」
「ありがとう、ございます」
 手渡されたマグカップは暖かくて、覗いてみればホットミルクだった。
 泣きはらした目をした俺を、「そのままじゃあ家に帰られへんやろ?」と言って。繋いだ手に導かれるまま忍足さんの部屋までやってきてしまった。
 テニス特待で関西の小学校から氷帝学園に入学した忍足さんは単身赴任中のお父さんと二人で暮らしているらしく、部屋の中はウチとは違って雑然とした雰囲気だったが、不思議と忍足さんには似合っている気がした。だからと言って散らかっているわけではなく、忍足さんの部屋はそれなりに片付いていて、前に半分無理矢理連れて行かれた桃城んちみたいじゃなくてちょっとほっとした。
 そぉっとマグに口をつけたら、それは熱すぎない程度に暖められていてほんのり甘い牛乳の味が、口に広がって少しだけ気持ちが落ち着く。
 忍足さんは、ぼんやりとうつむいたままの俺に合わせてくれているのか、何も言わずに隣に座った。
 壁にかけた時計の音がカチカチとやけに大きく聞こえるくらいに、静かな空気。
 でも、こんな沈黙も。イヤじゃねぇ。
 思い返してみれば。手塚部長と二人きりで、こんな風に時間を過ごしたこともなかったかもしれない。ただでさえ忙しい部長とは、一緒にいられる時間も本当に限られていて。二人でいる時は馬鹿みたいに焦って体を合わせていたのかもしれない。
 気持ちなんて何ひとつ、伝わっていないのに。ただ、闇雲に。
「俺」
 ぼそっと呟いても、忍足さんの様子は変わらない。それに安心して、俺は言葉を繋いだ。
「俺、手塚部長のこと、スゲェ好きだと思ってたんスよ」
 立てた膝に額をのっけてうつむけば、すぅっと伸びた忍足さんの手が俺の髪を撫でる。
「でも、もうよくわかんねぇッス」
 俺を見る時、ほんの一瞬だけ手塚部長の目に浮かんだいつもと違う色。その色の意味がわからなくて、いつも不安で。けれどそんなことすら俺の思い過ごしだったのかもしれない、と。
 手塚部長にとって、俺は一体なんだったんだろう。
 そういえば、あの人の口から俺に対する気持ちは何も聞いたことがなかったな。
 ただ、煽られるままに体を煽られ、あられもない声を出して、求められるままに体に触れて、イかされた。その合間のキスとか、目を開けた時にぶつかる手塚部長のいつもと違う熱さの眼差しとか、俺の頬に触れる指先とか。そんな瞬間は、手塚部長の存在を間近に感じられるのに。
 いざ離れてしまうと、途端に見えなくなってしまう。
 距離感が図れなくて、本当は近づくこともできていないんじゃないか、なんて気持ちに囚われる。
 少しだけ重心を忍足さんの側に倒したら、気づいて抱き寄せてくれた。
 こんな気持ちのまま、優しくしてくれる忍足さんに甘える俺はなんてズルいんだろう、と自己嫌悪するけれど。
 好きとか、嫌いとか、愛とか、恋とか。
 そんなの、よくわかんねぇ。でも、今。
「忍足さんと一緒に居たい、って言ったら駄目っすか」
 ぼんやりとした頭のまま、呟いた。
「気持ちは嬉しいねんけど、今日ここにおるんやったら、身の安全を保障してやれんかもしれんけど?」
 語尾に笑いを含ませて少し冗談めかして言う忍足さんの表情は見えないけれど。
「いいッスよ」
 視界に入る忍足さんのシャツをぎゅっと握った。
 何故か、体が震える。
「俺がここに居たいって言ってるんだ。忍足さんが俺に何かしたいならすればいい」
「薫ちゃん」
 どうして、手塚部長とあんな簡単にセックスしたんだろう。俺が好きだと告げた時、俺は手塚部長に抱かれたかったんだろうか。だから、手塚部長は俺を抱いたんだろうか。
 もう思い出せないけれど、はっきりしてるのは俺が、気持ちも分からないままオトコに抱かれることに抵抗もない人間になっちまったってこと。
「忍足さんに、好きでいてもらえる価値なんかないんスよ」
「そんな捨て鉢になることあらへん。もっと自分、大事にせなあかん」
「いいんです、俺なんか」
「そんなん言うたらあかんて」
 忍足さんが俯いたままの俺の顔を、無理矢理上げさせる。
「手塚のこと好きで苦しんどった薫ちゃんも、俺に対して結局強く出れなかった薫ちゃんの弱いとこも、優しいとこも、今こうやって傷ついて泣き腫らした目をした薫ちゃんも、全部ひっくるめて好きなんやから」
 目の前の忍足さんが、優しく笑う。
「そんなん、言うたらあかん。えぇな?」
「でも、それじゃあ忍足さんはっ」
「俺はえぇねん。薫ちゃんが思っとるほど俺はいい人間やない。こうやって薫ちゃんに優しくしてんのも、ぶっちゃけ下心やで?」
「それでも、忍足さんは」
 俺に、優しくしてくれる。俺に、笑いかけてくれる。俺に、好きだと言ってくれる。
 気持ち全部が言葉にならずに頭のなかで渦巻いて。ぼんやりしたままの脳味噌はすでに考えることを放棄して、心と直結したみたいに体が勝手に動く。
 それはまるで熱病みたいな浮遊感。
 俺は、忍足さんに抱きついて、肩に顔を埋めた。両腕にぎゅ、と力を入れれば忍足さんはひとつ溜息をついて。
「あんまり煽ると、俺も我慢できひんくなるけど?」
「・・・・・・しなくて、いい」
「薫ちゃん?」
「もう、何も考えたくない」
「いいんやな? ほんまに、後悔せぇへんか?」
 しない。今更、後悔なんて、しない。
 もうこれ以上、なくすものなんて思いつかない。
 多分。勢いみたいにして手塚部長に抱かれた、あの最初の時に。俺は何かをなくしてしまったんだ。
 大切で、絶対になくしちゃいけなかった何かを。
「忍足さんが、いいなら、いい」
「薫・・・」
 俺みたいな欠陥品でも。忍足さんがいいって言ってくれるなら、いいんだ。
 忍足さんの手が俺の顎を掴む。
 ひどく真剣な忍足さんの目は、吸い込まれそうな強さで。俺はその視線に負けて思わず目を閉じた。
 そして。
 忍足さんの気配が近付いて。口唇が、触れた。
 触れては離れ、そしてまた触れて。まるで俺の心を慰めるみたいな優しいキスに、ぶっ壊れたまんまの涙腺からまた、じわじわと涙が浮かぶ。
 それを悟られたくなくて。
 俺は、忍足さんの首に腕を回した。
 徐々に深くなる口付け。開いた口から舌が絡み取られる。
 濡れた音が響いて、その音に耳を澄ませば。泣き疲れてぼんやりとした頭に、ただ忍足さんの体が温かくて。抱き締めてくれる忍足さんの腕に、俺は全てを預けた。










 ―――この日、忍足さんはそれ以上のことはせず。シャワーを浴びた後には触れるだけのキスをしただけで、ただ抱き締められたまま眠り。翌日、目が覚めるとすぐ真横に忍足さんの顔。
 眼鏡を外した顔を初めてまともに見たような気がして、俺は思わず見入ってしまう。
 長めの睫毛が作る影が忍足さんの顔を陰影で彩り、キレイだけれどそれはまるで触れてはならない彫刻のような冷たさで。なんとなく不安になって思わず伸ばした指先でその頬に触れると、忍足さんはほんの少し身じろいで。
「なんや、もう起きたんか」
 起こしちまった。
「あ、はい。おはようございます」
 しばらく、ぼんやりした顔でぱちぱちと瞬きを繰り返してから。ようやく目が覚めてきたのか。
「ほな、朝飯でも作ろか」
 起き上がって言う忍足さんから、ようやくさっき感じた冷たさが消える。
 あぁ、そうか。忍足さんのこの表情だ。これが、俺を安心させてくれるんだ。
「忍足さん、作れるんですか」
「アホか。朝飯くらい作れるワ。あ、でもたいしたモンやあらへんで?」
 忍足さんに腕を引っ張られるように起こされて、そのまま二人でキッチンへ。肩を並べてトーストを焼いて。卵を焼く忍足さんの横で俺はレタスを千切る。
 のんびりと流れる時間。自然と笑みがこぼれる。
 こういう空気が、俺は欲しかったのかもしれない。
 出来上がった朝飯を、ダイニングのテーブルに向かい合って座って食べながら。俺は思い切って、口に出す。 
「忍足さん。俺、明日。手塚部長とちゃんと話してきます」
「え」
 少しだけ、戸惑ったような忍足さんの顔。昨日、俺を抱かなかったのは忍足さんの優しさだろうし、それはどこかで忍足さんの臆病さなのかもしれないけれど。そんな忍足さんと、一緒に居たいと、本当に思ったから。
「そしたら、また。ここに来ても、いいですか」
 忍足さんの表情が、笑顔に変わる。
「あぁ、いつでも来たらえぇ」
「はい」
 俺も、釣られて笑う。
「・・・・・・頑張っておいで」
「はい」
 俺は、トーストの最後のひとかけらを口に放りこんだ。











 翌日。
 部活が終わって。俺は、部室に戻ろうとする手塚部長に声をかけた。
「手塚部長」
「・・・・・・なんだ」
「お話が、あるんですが」
「わかった」
 コート脇の木の側で、立ち止まる。先週は、手塚部長にここに呼ばれた。どんな意図があったのか今となってはわからないけれど、あの日、俺が部長の誘いに乗っていれば今のこの状況はなかったのだろうか。ふとそんな思いが頭をよぎったけれど。所詮、もしもの話。
「俺は、手塚部長にとってどんな存在だったんですか」
「どういうことだ」
「俺は、手塚部長のことが好きでした。でも伝わってなかった」
 じっと、手塚部長の目を見る。やっぱり、その目の色の意味はわからない。わからないけれど判ったこと。
 手塚部長にとって、俺は別にトクベツじゃあなかったってこと。
「それが、一昨日、わかりました」
 手塚部長は何も言わない。何も言わないことが、いや、きっと言えないことが答えなんだろう。
「いままで、ありがとうございました」
 俺は一礼をして、背を向けた。
 どれだけ近くで肌を触れ合わせても、見えなかった気持ち。
 なくしたのは、気持ちを表す何かだったのかもしれない。
 結局、付き合ってた、と言えるのかどうかすらわからないまま、終わってしまった。
 初恋、になるんだろうか。
 手塚部長を見て初めて、映画でよくある「胸がどきどき」する感覚ってのを味わった。
 まだ、過去になんてなってないから。思い出すだけでその場から動けなくなってしまいそうな感覚に戸惑うけれど。それは多分。
「そのうち、平気になるんだろ・・・」
 これからも部活で毎日会うし、できればこれからも部長として、先輩後輩として普通に接していくなら。この距離に慣れなきゃ駄目なんだ。
 まだ、胸の痛みは消えないままだけれど、決めたから。
 俺は、忍足さんときちんと向き合う。
 言い訳じみているから誰にも言わないけれど、手塚部長から逃げるのではなく違う道を選んだんだ。
 俺は、取り出した携帯で忍足さんに電話をかけた。
 手に入れたのは、どきどきじゃなかったけれど。これで、いいんだ。忍足さんのことは、きっとこれからもっと好きになれる。
「もしもし?」
 2コール目で、忍足さんの声が聞こえた。
「あの、今日。これから行ってもいいですか」











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