奥様交流会




 夕日も既に地平線に落ちて、空には淡く光る月と気の早い星がきらめき始めた頃。
 海堂が部活後の自主練から部室に戻ると、汗臭い部室には手塚と菊丸の二人が残っていた。
(部長はともかく、菊丸先輩が居るなんて珍しいな・・・)
 オツカレサマデス、と挨拶しながら部室に入り自分のロッカーへまっすぐ向かいながら、海堂は思った。ほぼ毎日正規の部活時間が終わってから自主練に励む海堂が、部活動後も遅くまで居残っている手塚の姿を見る事は、手塚のその役職柄、少なくない。けれど、菊丸がこの時間まで、それも桃城や不二が居るワケでもないのに居残っている事など・・・これまではなかった。
「お、海堂、おっつかれー」
 机に向かって何かノートに書きつけている手塚の向かいに座って、手持ち無沙汰そうにパイプ椅子をぎーこぎーこ揺らしている菊丸が、海堂に向かって手を振る。
(あぁ、菊丸先輩、そんな風にしたら危ない・・・)
 パイプ椅子の足の片側を宙に浮かせて器用にバランスを取る菊丸に、海堂は(海堂的には)心配そうな視線を向けたが、その視線には気付かずに菊丸が重ねて問い掛ける。
「今日、乾はー?」
 突然、長身のデータマニアの名前を出されて海堂はギクリとした。
(いや、そんなに警戒することはない、俺の練習に乾先輩がたまに付合ってくれてる事は周知の事実だ。だからそう聞かれただけだ)
「今日は一緒じゃないッス」
 だたの先輩後輩の枠からは外れた付き合いをしている自覚のある海堂は、一瞬菊丸がそれを知っているのではないかと焦った。けれど、ここで焦って墓穴を掘ってもしょうがない。
「ふーん、そうなんだー」
 まだ椅子をぎーこぎーこ揺らしながら気のなさそうに言う菊丸に安心して、我知らず詰めていた息を吐き出す。相変わらず、手塚は机に向かっている。
 海堂が、ロッカーを開けて、二人に背を向ける格好で着替えようとシャツを脱いで上半身を露にした途端。
「うわっ!」
 菊丸の声。そして。
 ドンガラガッシャーン。
 部室に響く衝撃音。
 と、同時に。
「イッテェー!」
 菊丸の情けない叫び声が聞こえる。そこには、不格好に転んだ菊丸と、先ほどまで菊丸が座っていたパイプ椅子が床に投げ出されたいた。
「菊丸、五月蝿い」
 それでも、手塚は顔すら上げずに菊丸に苦言を言うのみ。
「ちょ、先輩、大丈夫っすか?」
 海堂が慌てて菊丸の方に歩き出そうとすると、
「あ、ダイジョブ、ダイジョブ。それより早くそのエロい身体仕舞ってー」
 キャーと言いながら笑って目を手で覆う真似をする菊丸の言葉に、海堂は首をかしげる。菊丸の言葉に顔を上げた手塚も、海堂の身体を見るやほんの少し頬を赤らめて俯いてまた作業に戻ってしまった。
「なんスか?」
 不機嫌そうに問う海堂に、それだよ、それ、と菊丸は海堂の身体を指差す。
 言われて、自分の身体を見下ろして。
 あまり直接日に当たる事のない白く保たれた腹から脇腹に掛けて、飛び散る赤い斑点が目に入り、海堂は赤面する。
(あっのヤロウ・・・)
「背中、特にスゴイよぉ、海堂ってばオットナー!」
 菊丸の声が更に羞恥を煽る。
 海堂は、ロッカーからシャツを取り出して着ようとするものの、気持ちが焦っているせいかなかなか上手くできない。舌打ちしながら心の中で変態眼鏡を罵った。
 昨夜の事が思い出される。
 両親が居ない乾家に呼ばれて、まぁそういう流れになって。別に強引にヤられたとは思っていないものの、こんな風に人に見られる可能性のある場所に跡をつけられているなんて思ってもみなかった。
(ちっきしょう、もうしばらくはさせネェ)
 耳の裏まで真っ赤にしている海堂の姿を、菊丸が好奇心に満ち溢れた視線で、手塚は少し困ったような視線で眺めて。
(なんだか背中に視線を感じる)
 それを努めて意識しないように、海堂は急いで帰り支度をしていた。恥ずかしくて倒れそうになりながらも、荷物をカバンに詰めていると追い討ちを掛けるように菊丸が問い掛けた。
「ねぇ、薫ちゃんと乾ってどのくらいのペースでえっちしてる?」
 あまりにもあっさりと言われたその言葉に、海堂がフリーズする。そして、質問の意図を認識した瞬間に体温は更にヒートアップ。首まで真っ赤にしながら恐る恐る振り返ると、既に椅子に座り直して満面の笑みを湛えた菊丸が可愛く首をかしげた。その向かいで、手塚までもが答えを期待するかのように海堂に視線を向ける。
「かいどー、真っ赤だ! かわいー!」
(カワイイ、だなんて。この先輩にだけは、菊丸先輩にだけは言われたくない!)
 オトコ、海堂薫は心の中でそう叫んだものの。
 ていうか、ちょっと待て、なんで乾との仲を知られているんだ!
「な、なんで俺と乾先輩―――」
「だって、その背中と腹んとこ、乾でしょ?」
 菊丸ににやにやしながら言われて、あまりの羞恥にごまかす事もできず海堂は俯いてしまう。
「別に今更隠すことないじゃーん」
 気安く言う菊丸に恨みがましい視線を飛ばした時。
(・・・部長も、驚いてないってことは・・・)
「まさか、部長も知ってたんスか・・・?」
 恐る恐る問い掛ける海堂に、手塚は嘘をつく事も出来ず。
「まぁ、一応な」
「そんなの、3年レギュラーはみんな知ってるよ。乾、あからさますぎるもん」
 ねぇ、手塚ー、と明るく言われた言葉に、海堂は再度、自分の特別な人であるはずのデータ男を呪った。
「で、どれくらいのペースでヤってんのさ?」
 二度目の質問。
 どうやら答えるまでは帰してもらえないらしい。
「・・・いや、普通ッスよ」
 なんとか確信には触れずに誤魔化して帰りたい海堂。
「えー、そんなのわかんないよー、普通ってどれくらい? 週1くらい? 週2くらい?」
 どうしても確信を知りたいと駄々っ子のように振る舞う菊丸。
「・・・・・」
 ノートに書きつける手を止めて静観する手塚。
「教えてくれないなら乾に聞くよ?」
 にやりと笑う笑顔は、どこか・・・不二を彷彿とさせて海堂の背筋を冷たいものが走る。
(あの先輩に聞かれたら、マジで何バラされるかわからねぇ)
 どうにも誤魔化されてくれそうにない菊丸の様子に海堂は諦めて大きくフシュウと息を吐き出した。
「なんでそんな事、聞きたいんですか」
 それでもまだそんな自分の話を部活の先輩に(しかも部長までいるのに)するのは抵抗がいる。せめて、どうしてそんな事を聞かれたのか理由ぐらいは知りたい。
「えー、だって気になるじゃーん」
 あっけらかんと言う菊丸は、海堂にとって衝撃の事実を告げた。
「ほら、俺と不二って二人とも家に誰か居るからさぁ。俺は大家族だし、不二の家はお姉さんとかもいるし。なかなか二人きりってなれないし、かといってそういうコトできるとこに行くような金もないし。困っててさー」
 今日幾度目のフリーズか。
 思いも寄らなかった事実に海堂の思考スピードは完全に遅れを取った。常日頃から、他人とのコミュニケーションが不足気味の海堂に取って、慣れない先輩との色恋沙汰な会話の上にそんな話をされてしまうとは・・・。
「あれ? まさか俺と不二が付合ってんの知らなかったの?」
 固まったままの海堂の様子に菊丸の問い掛けに、海堂が出来たのはコクンと頷くことだけ。
「じゃあ、もしかして手塚とおチビが付合ってる事も知らない?」
「おい、菊丸!」
 海堂は驚いて、手塚に視線を向けるた。その表情は憮然としているものの、頬は微かに赤く上気して・・・。
(まさか、部長、照れてる!?)
 海堂は愕然とした。
 テニス部に入部してから今まで、手塚の表情が変わる事など見た事がない。
 そもそも、自分の恋愛感情でさえ不慣れでどう扱っていいか判らない海堂が、身の回りの人間の恋愛事情に気付くハズもなく。
 驚きに目を見開いている海堂に向かって、
「ま、そういうことだからさ」
 菊丸はいとも簡単に締めくくって、更に言葉を続ける。
「だから。乾と海堂はどうしてんのかなーと思ったんだけど。乾の家にはしょっちゅう行く?」
「・・・はぁ、まぁ。週に1、2回は行きますけど」
「たしか、乾の家は共働きだったな」
 ポツリポツリと答を返す海堂の言葉を聞いて、手塚も会話に加わる。
「はい、なんで、意外と夜が遅いんで・・・」
「うっそ、じゃあもしかしてヤリ放題?!」
「・・・っ!? そんなに頻繁に最後まではやんないッス!」
 菊丸の言葉に海堂は慌てて否定したものの。
「へー、ってことはヤんなくてもいちゃいちゃしてるんだー」
 更に墓穴を掘ったのみ。
(あぁ、もう消えてなくなりたい・・・)
 あまりの羞恥に目眩さえ覚え始めた海堂に、菊丸は残酷なほど無邪気だった。
「いいなー、俺と不二なんて、滅多にないから二人きりなんてなったら即効ヤるよー」
 既に反応できずに硬直した海堂の様子などまったくお構いなしに、いいなー、いいなーと繰り返す菊丸。
「手塚んトコも結構家の人居ないよねー?」
「いつもと言うわけではないが、まぁ留守にすることも多いな」
「てことは隙をつけばデキるわけだ。いいなー、やっぱ一番場所に困ってるの俺らってこと?ズルイよー」
 そう言って不貞腐れて口唇を尖らす菊丸の姿は明らかに子供で、まさかえっちする場所がなくて困るなどと色っぽい話をしているとは到底思えない。
「でもさー、海堂」
「・・・なんスか?」
 次は何を聞かれるのか、と戦々恐々な海堂は僅かに身構えて問い返す。
「乾って大変じゃない?」
「・・・何がッスか?」
「だからナニが」
 イントネーションの違いに、意図する単語は判ったけれども。それの何がどう大変だというのか。
(・・・受け入れる方は誰でもそれなりに、大変なモンじゃないのか?)
 海堂の脳裏に疑問が過る。
「・・・どういうコトっすか?」
 もういちいち恥ずかしがる事もアホ臭くなって、海堂は開き直る。それでもまだ頬は淡く赤く染まったままだけれど。
「だぁって、乾ってばかなりのビッグサイズでしょー?」
 再び、海堂赤面。そして、硬直。
「ほら、不二は固さは凄いけど、大きさは標準だと思うのね、だからまぁそれなりに慣れればなんとかなるし、おチビはまだ成長途中じゃん?」
 言いながら菊丸は手塚に同意を求めたが、あっさりとシカトさせる。けれどそれにめげる様子はない。
「そう考えると、ぜぇったい薫ちゃんがイチバン大変だよー」
 菊丸の表情は、からかっているというよりも心底同情している、といった風情ではあったが。
 乾にされるあれやこれやで経験値は上がったものの、下ネタなんか話す機会もなく育ってきた海堂にとってそれはあまりにも赤裸々な言い方であり・・・これ以上はなれない、と思うほど赤面した瞬間。
(ちょっと待て、今越前は成長途中って・・・ってことは、まさか・・・)
「部長って・・・」
 思わず問い掛けて、慌てて口をつぐんだ。
 まさか部長が越前にやられているとは思わなかった海堂は、勢いで手塚に対する疑問を飲み込む。
(聞けるかよ! 部長がヤられるほうなんですか、なんて!)
 けれど、その一言で意図は伝わったのか。
「海堂、誤解するな。別に毎回俺がされてるワケじゃない」
 手塚の一言が、海堂を更に打ちのめした。
(ってことは部長挿れられてる時もあるってコトかよ・・・)
 あまりに刺激的な会話に、海堂の脳味噌が限界に悲鳴をあげそうになった頃。菊丸の携帯が震えた。
 受信したメールの内容を確認して、菊丸が立ち上がる。
「ちぇっ、帰りにスーパー寄らなきゃ。マヨネーズ買ってこいって頼まれちゃった」
 言いながら、菊丸は一人さっさと帰り支度を始める。
 その傍らには、まだ先ほどまでの会話の後遺症で固まったままの海堂と、部誌か何かを書いているらしい手塚。
「んじゃ、おっつかれー!」
 菊丸が、ひらひらと手を振って部室を出て行く寸前。
「あ、薫ちゃんはヤりすぎ注意、ね。乾にも行っておくから。あと、二人とも!また色々話ししようねっ」
 ニカっといつもの笑顔を残して、菊丸は部室を後にした。
 残ったのは、手塚と海堂。
「どうした、まだ帰らないのか?」
 手塚に問い掛けに、海堂にはもうすべてがどうでもいいような脱力感しか残っていない。
「いえ、帰りマス」
 気力の抜けた身体をズルズルと引きずるように部室から出ようとすると。
「海堂、菊丸の言っていた事はあまり気にするな。条件は越前も同じだ」
(・・・手塚部長も乾先輩並だって事?)
 海堂は、力なくうな垂れそうになる頭を最後の力を絞って持ち上げて手塚を振り返って告げた。
「オツカレサマデシタ」
 いやだ、こんな恥ずかしい思いをしなきゃいけないなんて。
 慣れない精神的披露の所為で、海堂は今日はもうゆっくり休みたい、と思った。
 そして心に誓った。
 もうこの3人だけになる機会は作るまい、と。











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