奥様交流会 3




 ポツリポツリと降り始めた雨に、竜崎先生の声がテニスコートに響く。
「オイ、オマエ達!」
 呼ばれて、部員達はわらわらと竜崎の前に集まった。
「雨だ、急いで撤収! 今日の練習はこれまでっ」
 今はまだ小雨ともつかぬ程度の雨だが、確かに空は真っ黒い雲に覆われていつ本降りになってもおかしくはない。
 コート整備とネットやボールの片づけをする一年を残し、ぞろぞろと部室へと帰る列の中に海堂薫も混ざっていた。
 が、しかし。
(あ、しまった、タオル・・・)
 そうえいば、練習中に汗を拭くのに使っていたタオルが見当たらない。
 もう部室は目の前なのに、どうやらテニスコートのベンチに置き忘れてしまったらしい。海堂はふしゅう、と小さく溜息をつくと来た道を戻り始めた。
 走ってコートに戻れば、海堂の探し物のタオルはベンチの上になく。
(・・・あれ?)
 海堂はキョロキョロしてみるもお目当てのものは見当たらず。
(おかしいな、確かにここに置いたハズなのに・・・)
 そんな海堂の様子を不審げにちらちらと見るのはまだ後片付けの終わらない一年生達。ふと、海堂がその視線に気付いて顔を向ければ、びくりと顔を強張らせて視線を避けてしまう。
 海堂にはその気はなくても、海堂の視線や眼差しに慣れぬ者には一瞬恐怖を覚えさせるほどのキツさだ。―――慣れたら海堂の目も可愛いよ? と乾が言ったとか言わないとか。
 それはさておき。
「ちっ・・・」
 海堂は小さく舌打ちをして、まだもたもたとネットを畳んでいる一年部員に声を掛けた。
「オイ」
「ハ、ハイィッ!」
 声をかけられた一年はあからさまにその表情に恐怖を刻む。
「そこに、俺のタオル置いてなかったか?」
「い、いえ、見てない、ですけど・・・」
「そうか」
 別に、その一年に対して不機嫌になったわけではないが、無意識に海堂の眉間に皺が寄る。それを見て、海堂のかわいさには到底気付けていない(乾調べ)かわいそうな一年生は、ひっ、と恐怖に思わず小さく悲鳴を上げた。
 その間にも、雨は止むことなくポツリポツリと地面を濡らし。
「あ、あの・・・」
 渾身の勇気を振り絞って海堂に声を掛けたその時。
「かーいどーう!!」
 少し離れた場所から呼ばれる声に、海堂は振り返った。
 振り向けば、向こうから大きく手を振って海堂目掛けて走ってくる菊丸の姿が見える。
「やぁっと見つけたよー」
「・・・なんスか?」
 菊丸の登場により、海堂の注意が自分から逸れた隙に、先ほどの一年部員は慌てて逃げ去った、らしい。
 そんな一年の決死の脱出劇にはまったく気付かない海堂と菊丸は。
「はい、これっ。海堂のでしょ?」
 菊丸は、手に持っていたタオルを海堂に見せた。
「あ・・・ハイ」
 確かにそれは、先ほどから海堂が探していたモノである。
「そうじゃないかと思ってさっき乾に聞いたら、海堂のに間違いないっていうから探しにきたよっ」
「スンマセン、アリガトウゴザイマス」
「でも海堂もここに探しにきちゃってたなら一緒だったにゃ」
 海堂にタオルを手渡しながら、菊丸は頭を掻いた。
「いえ、そんなことないッス。雨も降ってんのに、すんません」
 ぺこり、とお辞儀までして礼を言う海堂に、菊丸は少し照れたように笑ってみせる。
「そんなかしこまるなよっ、俺と海堂の仲じゃんっ」
 先輩後輩以外に一体どんな仲なのか、海堂にはよくわからなかったので微妙な顔をして菊丸を見ていると、キョロキョロとよく動く菊丸の大きな目が、何かを捉えたらしい。
「あ、おーい、手塚っ!」
 飛び上がってぶんぶんと手を振りながら、校舎を出て部室に向かって歩いている手塚を呼び止める。
 手塚は、一度空を見上げて、方向転換をして菊丸と海堂の残るテニスコートに向かって歩いてくる。
「手塚っ、遅いよー。今日の部活、雨で終わっちゃったよっ!」
「そうか」
「ま、でもまだみんな部室に居るし。部室、寄っていくんでしょ?」
「あぁ、そうだな」
「じゃ、海堂も一緒に、行こ」
「ッス」
 珍しい三人組が肩を並べて、小雨降る中部室へとグラウンドを横切る。無口な手塚と海堂の間に挟まった菊丸は、えいっ、と二人の片腕ずつをその両手に掴む。
「ねぇねぇ」
 明らかに内緒話モードで声を潜めて、菊丸が二人の腕を引っ張った。自然、三人の頭は心なしか近付く。
「あのさ、口でした時、飲める?」
 ドッカーン。
 今度ばかりは海堂のみならず手塚の思考回路までフリーズさせる威力を持った爆弾の投下に菊丸は成功したようである。
 わかっているのかいないのか、菊丸は二人の様子に目を留めることなく喋り続ける。
「不二がさ、飲むんだよー。恥かしいからやめてって言うんだけど、へっちゃらな顔しておいしいよ? とか言うんだもん。もー信じられなくてさー。でも俺は飲めないし、そもそも口ですんのも苦手だし。みんなどうしてるのかにゃっと思って」
 へへ、とさすがに少し照れたように笑う菊丸の笑顔思わず凝視していた手塚と海堂は、
「聞いてみたくってさっ」
 と重ねて問われて二人同時に視線を外した。
 海堂の頬はもちろん羞恥の朱にそまり。
 常日頃から鉄面皮といわれるだけのことはある、手塚はその表情に少しの動揺も見せはしなかったが、それでも口を開く様子はない。いや、むしろかたくなに口を噤んでいる、と言ったほうが正しいか。
「ねー。教えてよーっ。手塚っ」
「・・・・・」
 手塚は無言の圧力で菊丸を押し返す。
「あーもう、手塚のケチンボ! じゃ、海堂は? ね、ね? 乾にやらされたでしょ? ほら、乾って絶対変態臭いし」
 ある意味菊丸先輩の読みも外れてはいねぇ、と思いつつ。
「そ、そんなこと、、、したことないッス」
 しどろもどろになりながらも、海堂は菊丸に返す。
「えー、うそー、絶対したことあるっ」
「な、ないッスよ!!」
 いや、ある! 絶対ないッス! と埒のあかない押し問答を繰り返すうちに、あっという間に部室にたどり着き。
 海堂は逃げるように部室の扉を開けて中に飛び込んだ。
「あぁっ! 海堂逃げたなっ!」
 菊丸は追いかけるように叫んだ。が、さすがにまだ部員の大半が残る部室で出来る話ではない。
「絶対いつか聞き出してやるからなっ」
 と最後に一言その背中に向かって叫んで、自分のロッカーに向かった。
 海堂は、まだ耳を真っ赤に染めたまま。すれ違いざま、乾が「どうかしたのか?」と小さく問い掛けたのにもふるふると頭を振るだけで、俯いたまま自分のロッカーへと一目散に向かう。
(絶対、バレちゃいけねぇ。乾先輩のを飲まされたどころか、口移しで自分の出したモンまで飲まされたことがあるなんて、絶対にバレちゃいけねぇ・・・)
 乾の変態っぷりはおそらく菊丸の予想を大きく上回っていることだろう。
 カタカタと震える手で、海堂はロッカーを開けて着替えを始めた。
 その後ろ姿を哀れむように見て、手塚は視線を窓の外へと逸らした。











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