I Lost Words. #1 |
机の上に置きっぱなしにしていたケイタイが赤色のライトを点滅させながら、音を消している所為で堅くぶつかる振動音を響かせる。 受信したのはメールだったらしい。大石秀一郎は、3回ほどぶるぶると振動を伝えてからおとなしくなったケイタイを、ベッドの上に転がって読んでいた雑誌から顔を上げて見た。日頃は暖かな色を宿したその瞳が軽く細められる。 時刻は夜11時。 取り立ててメールが珍しい時間帯では、ない。けれど、遠目にも見えたサブディスプレイの色に大石は小さくため息を吐いた。 起き上がり、手を伸ばしてケイタイを掴む。手馴れた操作で受信メールを開いてみれば。 送信者と内容は、大石の予想の範疇だったのか。 『動けないよ、助けて』と短く書かれたメッセージに、一瞬大石の顔に険しい表情が走り、ゆっくりと起き上がると。 「また、か・・・・・・」 小さく呟いて、立ち上がった。手早く返信すると、ケイタイを閉じてジーンズのポケットに入れた。 そして、振り仰ぐように天井を眺めて、ため息を飲み込む。大石の心を表しているのか、その顔はこれまで誰にも見せたことがないほど苦渋に満ちて、拳は無意識に握り締められている。 大石は、いらだったようにクローゼットを開けると中からジャケットを取り出して羽織った。 外に出れば、昼間の温かさを忘れた夜の冷たい空気が満ちている。 鍵をかけて部屋を後にすると半ば走るようにアパートの階段を駆け降りて、そのままの勢いで駅へと向かう。今でも続けているテニスのおかげか、息を切らせることもなく駅まで徒歩5分の道のりを2分ほどで走りきり、改札をくぐり抜けた。 ようやく速度を緩めてホームに向かうと、ちょうどいいタイミングで滑り込んできた電車の扉が開く。仕事で疲れた顔の人々を吐き出して空いた車内に乗り込んだ時、尻のポケットに突っ込んでいたケイタイが、再びぶるぶると震えた。 取り出して見れば、サブディスプレイの色はさっきと同じ赤色を点滅させている。 「英二・・・・・・」 赤色が表すのは、メールの送信者が菊丸英二であること。 メールには一言、『早く来て』とだけ書かれている。それには返信せずにケイタイを仕舞うと、大石は何かに耐えるように目を閉じ俯いた。疲れたようにその背を壁にもたれかけさせた大石の眉間には、深い皺が刻まれる。 青春学園は大学まで併設されているため、周りにはそのまま持ち上がりで大学まで進むヤツが多い中、大石は外部の大学を受験し大学進学と同時に地元を離れて学校の近くで一人暮らしを始めていた。最初のうちは高校時代の友達も頻繁に遊びに来たりしていたのだが、既に高校を卒業してから2年。新しい環境で出会う新しい人間関係に、また、学校だバイトだと毎日忙しくしていた所為もあり、お互いにだんだんと連絡を取り合う間隔が開いていき。いつの間にか、疎遠になってしまっていた。 そして、中・高と共にテニス部に所属し、ダブルスのベストパートナーとして、多分家族よりもたくさんの時間を一緒に過ごした親友とも呼べた、菊丸英二とも。 いつしか、日々の雑事に追われて連絡を取ることを怠っていた自分を、いまさらになってこんなに後悔するなんて。 会わなかった時間に、こんなことになるくらいなら。いっそ手放さなければよかったのに。 してもしても足りない後悔に思考をとらわれる度に、大石は心から言葉が消えていくような気がしていた。いつもは、周りの人が欲しいと思っている言葉を、して欲しいと思っていることを、別に意図するわけでもなくわかるから。そして、それを差し出せば喜んでもらえるから、自分も嬉しいから。 自然と世話を焼く立場にいることが多い。とりたててそれを苦痛には思わない自分は多分、おせっかい焼きなんだろう、と笑うしかない。 それよりも、みんなが笑っていてくれたらいい、と。その気持ちに嘘はなかった。 (それなのに、俺は。一番大切な友達だと思っていた英二を―――) 在来線を2本乗り継いでたどり着いた駅は、既に人通りもまばらで閑散としていた。 改札を出て駅前に残る小さな商店街を抜けてしばらく歩き、外灯が点る淡いオレンジ色の壁のマンションの前で足を止めた。 一階のエントランスのオートロックを教えられているナンバーで解除して、ここ2、3ヶ月の間に幾度か訪れた部屋へと向かう。一応チャイムだけ鳴らしてドアノブを開けば、それはなんの抵抗もなく開いて。 「英二?」 扉を閉めて鍵をかけながら、大石は部屋の奥に向かって声をかけた。 玄関先には、英二のものと思われるスニーカーが脱ぎ散らかされている。 「入るぞ」 返事が返ってこないのを承知で、それでも大石はひっくり返っているスニーカーをきちんと揃えてから部屋に上がった。 ワンルームの狭いキッチンを抜けて、キッチンとその向こうの部屋を仕切る扉を開くと。 真っ暗な部屋、乱れたままのベッドに横たわる英二が、居た。 眠っているのか、目を閉じているその顔は穏やかささえ浮かべているのに。 「英二」 名前を呼んで部屋の明かりを点けて。ようやく、英二がうっすらと目を開けた。 「あ、おおいしー・・・」 子供のような笑顔を浮かべて大石に向かって手を伸ばす。 明るい蛍光灯に照らされた英二の姿に、大石は悟られないように拳を握り締めた。 皺くちゃのシーツから覗く剥き出しの白い肩から首筋にかけて、赤い鬱血がいくつも刻まれていて。部屋の空気も、今の英二の様子も、すべてがつい先ほどまでこの部屋で行われていたコトを明確に物語っている。 「大石、遅いにゃー。俺寝ちゃったじゃん」 眠そうに目をこするその仕草は、出会った中学の頃と変わらない。 「ごめん、急いだんだけど」 伸ばされた手を取って、その体を抱き起こせば。 「あーん、気持ち悪いよー、大石っ」 ぐずるように嫌がる。甘え方も、大石の名を呼ぶ声も。変わらないのに。 はだけたシーツの下には、何ひとつ身に着けないままの英二が露になる。そして、きっとその奥は。 「・・・・・・また、つけさせなかったのか?」 今日は、一体誰の吐き出した白濁を受け入れたのか。 「だってー、ゴムつけるとなんか痛いんだもん」 英二の存在が。大石から言葉を奪っていく。 こんな英二を見ていることが、大石自身を後悔させる。 あの時、もしも、自分が一緒に居られたのなら。 「大石、お説教は後で聞くからさぁ。早くキレイキレイして?」 可愛く首を傾げて見せる英二の笑顔は、自分も邪な気持ちがまったくないとはいえない大石にはあまりにも無邪気すぎた。 大石はなくした言葉の中から、英二を傷つけない優しい言葉だけを取り戻して。 「しょうがないな、英二は。ほら、つかまれよ。風呂場、行こう」 「うん!」 嬉しそうに首に手を回した英二の、膝裏とワキに腕を回して体を抱えた。出会った頃よりも一回り痩せた体を抱きかかえて、バスルームへと向かう。バスタブに英二をそっと下ろして、シャワーを手に取った。適温にされたシャワーをそっと英二の体にかけてやれば、英二はまるで日向ぼっこをしている猫のように気持ちよさそうに目を細める。 そして。 「足、開いて」 しばらく、暖めるようにシャワーを英二の体にかけていた大石が、言う。 「ほいほーい」 英二も、前を隠すことなく大人しくその足を開いて秘奥を大石が触れられるように露にした。大石が手を伸ばしてその入り口を指で少しだけ開けば、とろりとした液体がわずかこぼれる。 大石は人差し指をその中に埋め込んだ。とろとろの液体を英二の体から掻き出すように指を動かして抜き差しを繰り返しているうちに、大石の指にも誰のモノともしれない液体が絡み、さらに大石の気持ちを打ちのめす。 大石は、時折シャワーで自分の指と英二の下腹部を流しながらその中のモノをすべて掻き出すまでその行為を繰り返す。繰り返す途中、時折、英二の中のイイ場所に触れてしまうのか。 「あ・・・・・・ん」 甘い、喘ぎに近い鼻にかかったような声が、英二の口から漏れる。 「もうちょっとだから我慢しろ」 その度に、大石は英二に優しく声をかけるけれど。 「ん・・・・・・大石」 甘ったるい声で名前を呼ばれて、大石は気持ちが理不尽にざわめくのを抑えられなくなりそうな眩暈にとらわれる。 いっそ、このまま、ここで、俺が、英二を。 「今日は誰?」 「・・・・・・ちゃんと、大石も知ってる人にしたにゃ」 「そう・・・・・・」 「うん、乾だよ」 「えっ・・・・・・?」 「今日偶然駅で会ってさー、久しぶりに会ったらすごい男前なんだよ、乾。あんまり優しいから嬉しくてウチに呼んじゃった」 「乾は、確か・・・・・・」 高校時代から、一つ後輩の海堂と付き合っていたって教えてくれたのは英二じゃなかったか、と言いかけて大石は口をつぐんだけれど。 「うん、薫ちゃんには内緒にゃのだ。だから大石も言っちゃ駄目だよ」 イタズラを思いついた猫のように目を輝かせてそういう英二の顔を見て、大石はため息を吐いた。 以前は、誰かが本当に傷ついてしまうようなことをするヤツじゃなかったのに。 「俺、薫ちゃんのことも好きだもん。嫌われたくないにゃ」 だったら嫌われるようなこと、するなよ、とは。今の英二には、言えない。言っても、伝わらない。 「・・・・・・終わったよ」 手を洗って、シャワーを英二に持たせた。 「はい、あとは自分でできるだろ」 「えー、やだよー。大石、体も洗ってー」 「そこまでしたら俺も濡れるだろ。ほら」 言って、ボディソープとスポンジを渡す。いまさら、体を洗ってあげるくらいのことはどうってことないけれど。隠すそぶりもない英二の前が、さっきまでの俺の指に反応して後戻りできない程度には堅くなっていたから。さすがに、それの処理までしてしまったら・・・・・・俺が後戻りできなくなるよ、と。大石は心の中でつぶやいて。 「けちー」 英二は不貞腐れながらも受け取って。大石は、バスルームから出ようと背中を向けた、瞬間。 後ろから、シャワーの水滴を当てられた。 「英二っ!」 振り向いて抗議の声を上げれば、顔面をシャワーの水圧が襲う。 「げほっ」 「にゃはははっ」 思いっきり鼻から水を吸い込んでしまってむせる大石を見て、英二が笑う。 そして。 「これでもう濡れちゃったね、大石」 にかっと笑う笑顔は、まるっきり子供のそれで。まぶしいほどの笑顔に、また。大石の言葉が宙に消える。 「おおいしっ」 伸ばされた腕を、もう2度と、俺は手放してはならない。 大石は、反射的にその腕を取った。思わぬ力強さで引っ張られて、今度は頭からお湯をかぶった。 「あぁ、もうわかったよ、しょうがないな」 苦笑を浮かべる大石に、英二は。 「へへっ」 ただ、嬉しそうに笑う。 大石は、繋いだ手に力を入れた。たとえどれだけの言葉を見失っても。たとえどれだけ理不尽な願いであっても。もう、この手を離しちゃいけない。 今、ここにある英二の笑顔を守るために。 |