I Lost Words. #2




 結局、いい年をした男二人で、まるでじゃれるように一緒にシャワーを浴びて。はしゃぐ英二にはパジャマ代わりのジャージを着せて、自分も大きめのジャージを借りて、ようやく落ち着いたのはそれから2時間ほど経った頃。
 日付も既に変わって、もう真夜中。
 穏やかな顔で眠る英二の寝顔を見つめ、大石は起こさないように注意しながら髪の毛をそっと撫でる。
 朝まで側にいてね、と大石に強請る英二の顔は、冗談ではなくまるで親とはぐれた子供のように泣きそうな表情を浮かべていて。大石は、英二が眠りに落ちるまでずっとその手を握ることしかできない自分に、溜め息を吐く。
(英二が、あんな顔をするなんて)
 家族に、兄弟に。無償の愛を一身に受けて育っただろう英二が、まるで愛情に飢えた子供のような顔をするようになっていたことに、大石は胸を痛めた。
 もっと早くに、会いに行っていればこんなことにはならなかったかもしれない。
 消えないその思いは、再会したあの日から大石の中にくすぶっていた。
 眠りに着く直前の英二の不安そうな顔を初めて見たのは、大学の2年になってすぐ。
 このあたりでは一番大きい、一駅向こうの本屋で、偶然会った、あの日。






「あ、大石ーっ! ひさしぶりっ」
 突然名前を呼ばれた大石が振り向けば、記憶よりも痩せた英二がそこに居て。
「英二! ひさしぶりだなぁ」
「ほんとっ、超ひさしぶりっ! 大石ってば最近全然連絡くれないんだもんっ」
「あぁ、ごめん。最近学校が結構忙しくてさ」
「そっか」
 大石は、見たことのなかった寂しそうに笑う英二の表情に、少しドキリとしたの覚えている。
 けれど次の瞬間には不思議なくらい高校時代と変わらない笑顔で。一瞬前の違和感はすぐに薄れて、懐かしさがこみ上げてくる。たった、2年前のこと、なのに。
 高校を卒業して2年。大石とて英二のことを忘れていたわけじゃない。どうしているのかな、と、日常的に思い出してはいたけれど、それでも連絡を取れずにいた大石には純粋にこの偶然が、嬉しかった。
「で、大石は今日は何してるのっ?」
「あぁ、ちょっと探し物」
「ふーん、そっか」
「英二は?」
「ん、ヒマだったから立ち読みでもしよっかにゃ、って」
 首を傾げて見せる姿も変わらない。
 時刻は、まだ夕方。せっかく偶然会ったんだから、と。
「じゃあ、お茶でも飲みに行くか?」
 大石の言葉に、英二は目をキラキラさせて。
「ほんと! じゃあさ、パフェ行こうよ、パフェ!」
「変わらないなあ、英二は」
 思わず苦笑をもらす大石に。
「そっかにゃ?」
 聞き返す英二の表情に、また、微かな違和感。けれど、その時の大石にはその違和感の理由を知るすべはなかった。
「さ、そうと決まったら早速レッツゴー!」
 大石の腕を取って英二が向かった先は、駅から少し歩いたところにある洒落た喫茶店だった。入り口には色とりどりのパフェがウィンドウの中に飾られているその店で、英二はチョコブラウニーパフェを、大石はアイスコーヒーを注文して。
 そのまま青春学園の大学に進んだ菊丸の口から、高校時代の仲間の話を聞いて、二人でひとしきり笑って。
 2回ほど店員が水を交換に来たタイミングで。
「大石はこの後どうする?」
 英二が聞いてきた。
「特に用事はないけど?」
「じゃ、ウチ、来る?」
「英二の家?」
 家、と聞いて大石は、たしか兄弟が多くて大家族だったよなぁ、と学生時代に幾度か訪れた英二の実家を思い浮かべていた。けれど続いて英二の口から出てきたのは大石の知る菊丸家ではなかった。
「うん、今俺、一人暮らししてんだ」
「え、そうなの?」
「うん、だからおいでよ。そんで、ウチで晩御飯食べよう。俺、作るしっ」
 大石は、懐かしさと久しぶりに会えた嬉しさの気持ちのまま、特に何かを考えることもなく英二に誘われるままに彼の家を訪れた。
 意外とキレイに整頓された部屋に驚けば、つい2日前に海堂がやってきて部屋を片付けてくれたのだという。
「へぇ、英二、海堂とそんなに仲良くしてるのか」
「んー、薫ちゃんね、乾と付き合ってるから。時々悩んでるみたいで、話きいてあげてるんだよ」
 えへ、先輩らしいでしょ?
 狭いキッチンで料理をしながら、顔だけこちらに覗かせて笑う英二の言葉に、笑い返しかけて―――
「えぇっ!? え、英二、今なんて?!」
「何が?」
 きょとんとして、大石の意図がわからずに首を傾げる英二に近寄る。
「だから、今言っただろ、その、乾と海堂が、って・・・」
「あぁ、そっかぁ、大石は知らなかったっけ?」
 大石は、正真正銘この時初めて二人の関係を知った。言われて見れば確かに思い当たる節がないでもないが、まさかそんなことは考えたこともなくて、料理の手を止めずに言う英二の傍らに立って、うろたえて右往左往する。
「知らなかったも何も・・・・・・」
 男同士じゃないか。そういいかけた言葉を、大石は飲み込んだ。その様子を、英二がどこか冷たい目で見ていたことに、大石は気付かずにいて。
「ま、付き合ってるんだし、あの二人にもいろいろあるんだよっ」
 その次の大石の言葉は、フライパンに落とされた卵の焼ける音でかき消されてしまう。
「大石、あとはいいから座って待ってて」
 そう言われてしまえば、大石にできることはない。しばらく雑誌を手に取ったりと手持ち無沙汰な時間を過ごしていると。
「じゃーん、完成! 菊丸特製ふわふわオムレツのでっきあっがりー」
 英二の手料理が小さなテーブルに所狭しと並べられ。一緒に出されたのは、缶ビール。
「英二、ビール飲めるようになったんだ?」
「俺だっていつまでも子供じゃないよーだっ」
 ビールを、苦い、とたった一口でギブアップしたのは、確か。高校最後の大会の後の、打ち上げだっただろうか。タカさんの寿司屋でごちそうになった後に、越前の家にみんなで転がり込んで。誰かがこっそり持ち込んだアルコール類を、今日ばかりは無礼講、といつもはお堅いあの手塚さえも黙認して大騒ぎをしたあの夜。
 懐かしい記憶に、英二の笑顔が被る。
 適度なアルコールと、久しぶりに聞く英二の声と。何も変わっていないんだ、という安心感に錯覚した大石は、自分に寄りかかって甘える英二の態度がオカシイことに気づくのが、遅れた。
「ね、大石」
「ん?」
 残り少ない缶ビールを煽る大石を、英二は上目使いで見上げる。
「大石は、今。彼女いるの?」
 アルコールに赤く染まった頬と、けだるげな目でそう問う英二を大石は笑って見下ろす。
「今は、いないよ」
「そっか」
 その答えに、英二は満足そうな笑みを浮かべて。
「じゃあさ」
 英二の手が、大石の。
「最近は、一人でしてるってコトだ?」
 股間に、触れた。
「わ、英二っ!」
「何?」
「何、じゃないよっ、いきなり何するんだっ」
 驚いた大石が思わず声を荒げると。
「・・・・・・イヤ?」
 さっきまでの笑顔はすぅ、と失せて。声はか細く、英二の目から徐々に生気が消えていく。
「え?」
「大石は、俺と、したくない?」
「英二?」
 問われた言葉の意味を掴み損ねたまま、大石が問い返せば。
「大石は・・・・・・」
 呟いた次の瞬間、ピクリと英二の体が強張り。
「え、英二?」
 見開かれ、焦点を結んでいない英二の瞳に大石はうろたえる。
「お、おいっ、英二っ!」
 触れようと手を伸ばせば、びくりと体を強張らせるからうかつに手を出すこともできず、英二の突然の変化に途方に暮れた。
「英二」
 声をかけても聞こえないのか、床に座りこんだ姿勢から動かない英二の様子をしばらく見守っていたが。
「一体どうしたって言うんだ」
 英二が癲癇のような病気を持っていたという記憶は、大石の中にはない。しかし、この状態は明らかに異常だ。
 うずくまりカタカタと震える英二を目の前にして、大石が救急車を呼ぶべきか思案していると。
 ピンポーン、と場違いに明るい、誰かの来訪を告げるチャイムが部屋に鳴り響いた。











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