I Lost Words. #9




「あ、いたいた。かおるちゃんっ」
 雲一つない青空に、英二の声が響く。そんな英二を、隣に立つ大石は笑って見ている。そして、向こうからやってくるのは、海堂と乾だ。
「わ、英二先輩、・・・・・・苦しいッス」
 海堂の姿を見つけるなり走っていってタックルをかけた英二を両腕で抱きとめて、じゃれるようにしながら大石の待つ店の軒先まで戻ってきた英二は、さらにその後ろからやってくる不二を見つけるなり飛び上がって手を振る。
「にゃは、あ、不二も来た、おーい、こっちこっちっ!」
「やぁ、おはよう。英二は今日も元気だね」
 そんな英二の様子を、不二も笑って見ている。そのままなだれ込むように店に入り、席を確保するなり。
「もっちろん。久しぶりにこれからみんなでテニスしに行くってのに元気なくしていられるかっての。さ、みんな座っててよ。適当に買ってきちゃうからさ、ほら、薫ちゃん、行こう!」
「わ、ちょ、なんで俺なんスか」
「後輩が手伝うのが当たり前だろ」
「そりゃそうッスけど、うわ、今行きますから!」
 無理矢理海堂を引っ張ってレジに向かう英二を笑顔で見送って、残された三人は顔を見合わせた。
「うまくいったんだね?」
 最初に口を開いたのは、不二だ。その言葉は、大石に向けられていて。暗に、英二との仲のコトを指しているのは判っているものの、大石は言葉を濁す。
「うまくいったっていうか・・・・・・まぁ」
「で、どうだったの?」
「何が」
「そんなの決まって―――」
「不二!」
 しかし、その濁した言葉の真意をさらに下世話な方面に掘り下げようとする不二の顔には人の悪い笑みが浮かんでいて、慌てて大石は不二の言葉を遮る。
「ごめんごめん、でもほんと、良かった。また英二がちゃんと笑えるようになって」
「うん。ありがとう。―――あ、ちょっと行ってくる」
 英二に呼ばれて席を立った大石を見送る不二の顔には本当に安心した笑顔が浮かんでいる。しかし、その顔は乾に向いた途端にいつもの底知れない色を帯びる。
「乾も、良かったね。海堂に許してもらえて」
「厳密に言えば、まだ許してもらったとは言いがたいな。家庭内別居に近い状態だ」
 乾は、半ば英二に背後から抱きつかれた状態でレジの前の海堂の背中を見る。大石が加わって、三人でメニューを覗き込む後姿を見て乾はため息を吐いた。
「まぁ、時間をかけて許してもらうよ」
「でも、家を出て行かれなくて良かったね」
 不二の言葉に、滅多に動かない乾の表情が微かに歪んだ。
 しばらくの沈黙。そして。
「・・・・・・出て行かれたのを、なんとか連れて帰ってきたんだけどね」
「へぇ?」
「ま、いいじゃないか俺の話は」
 詳しく聞きたそうな不二の視線に居心地が悪そうに乾がズレてもいない眼鏡を押し上げたところで、英二と大石と海堂が戻ってくる。
「おっまたせー」
 三人が戻った、と言うよりも英二が戻ったコトで一気に騒がしくなる。
「はい、乾はこれ、不二はこれでしょ、で、大石はこれ」
「・・・・・・何を買ってきたのかな、英二」
 英二に手渡されたモノの匂いを嗅いで不二の顔から笑い顔が消える。
「シェイク! 乾が杏仁で、不二がチョコで大石がバニラね、で俺がストロベリー!」
 比較的甘いものが苦手な不二が嫌そうな顔で、自分の分は別に確保しているらしい海堂に問いかける。
「海堂は何を買ってきたの?」
「オレンジジュースッス」
 杏仁・・・・・・と小さくつぶやいた乾も、海堂に非難めいた視線を向ける。
「海堂、なんで止めてくれなかったんだ」
「いや、止めたんスけど・・・・・・」
 あからさまに非難するように言われて、海堂は助けを求めるように英二に視線を送る。
「マックきたらシェイクに決まってんじゃーん。ね、大石?」
 しかし、不二と乾の苦情など初めから聞く耳持たないらしい英二は笑顔のまま大石を覗き込む。
「大石、しつけはきちんとしてくれないと困るんだけど」
「にゃんだとー!!」
 苦情の矛先を大石に変えた不二の嫌味に、英二の非難の声が飛ぶ。そして、英二は椅子に座りながらまだ経ったままの大石を振り返る。
「大石はバニラシェイク好きだよねー?」
「あぁ、好きだよ」
 大石は、英二の後ろに立ったまま、そう答える。
 好きだよ。
 その言葉を見つけるまでに一体どれだけかかっただろう。
「ほらみろー、大石はシェイク好きだからいーじゃん」
 好きだから。
 今、話してるのはシェイクのこと。
 判っているけれど、大石の脳裏には言葉自体が大きな音で響く。英二はその言葉を口にするために、一体どれだけの涙を流したのだろう。
「大石は好きでも俺は好きじゃない。しかも杏仁・・・・・・」
 眉間に皺を寄せて渋い顔をしている――のだろう。眼鏡に隠された目の表情は見えないけれど――乾は受け取ったシェイクをしばらく眺めた後、嫌々ながらもストローに口をつけた。
 そんな乾の顔を見ながら、英二は隣に座った海堂の肩に自分の方をぶつけて笑う。声を出して笑いはしないけれど海堂もそんな乾の反応を面白がっているみたいだ。
 英二の周りには自然と笑顔が集まる。そんな英二を見ていると幸せな気分になる自分に気がついて、大石も笑顔を見せた。
 笑い声の中、溢れる気持ちが押さえられなくて英二を背中から抱きしめた。
「わっ、大石、どしたの?」
 突然抱きついた大石に驚いて振り向いた英二の目をみつめながら、そっとつぶやく。やっと見つけた言葉をなくさないように。
「英二、好きだよ」
「い、いきなりにゃんだよ!」
 真っ赤になって慌てる英二と立ち上がった不二による脳天への衝撃で、人目の多い場所にいたことを思い出した大石は慌てて英二から手を離そうとしたけれど。
「英二?」
 照れてそっぽを向いた英二の指が、大石の手を掴んで離さない。頬を赤らめながらも、指先は掴んだまま。
「あーもう、見てられない」
 ガシガシとストローの端を噛む不二は、苛立ったそぶりを見せているけれども、その目は優しく笑っている。
「今日は英二のおごりね」
「にゃんでだよっ」
 不二の言葉に憤慨する英二のデコを拳で軽く小突きながら、不二は自分の隣に座る乾を振り返る。
「ったく、目の前でいちゃつかれるこっちの身にもなってよ。ねぇ、乾?」
「当然だ。こっちは禁欲生活強いられてるって言うのに」
「ばかかアンタ、なんてこと言うんだ」
 不二の言葉に淡々と答えた乾のあんまりな返答に海堂が乾の足を軽く蹴る。
 笑い声が、こんなに嬉しいなんて。
 英二が、大石を見上げる。
 その目は、笑っている。
 本当に、笑っている。
 良かった。英二の本当の笑顔がまた見れて、本当によかった。
 大石はそんな気持ちを込めて、英二に笑い返す。
 まだ、英二の心は完全には癒えていない。夜中に突然飛び起きることも少なくない。それでも、その度に英二を抱きしめる大石の存在に、英二もようやくあるべき日常を取り戻しつつあった。
 英二が完全に立ち直るまで、あとどれくらいかかるのかなんて大石にもわからない。けれど、どれだけの時間がかかろうとも、英二を守ると決めた大石にはなんの迷いも無い。
 好きだから、一緒にいる。好きだから、助けたい。ただ、それだけのこと。
「俺も、好きだよ、大石」
 立ち上がって飛びつくように抱きついた英二を、大石は抱きしめた。
 もう二度となくさない。この腕から英二を。
 そして。
 好きだよ、英二。
 もう二度と見失わない。この言葉を。











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