恋の領域、愛の行方 #3




 光に包まれた寝室がようやくいつもの色彩を取り戻して、貞治の視界も平常に戻ると同時に目の前に広がる現状に愕然とした。
 さっきまで貞治の腕に居たはずの薫が、居ない。
 そして、残された薫のドレスをただ呆然と見下ろした。
「ちょっと、一体なんなんスか」
 まだ先ほどの強烈な光が目に残っているのか、パチパチとまばたきを繰り返しながら貞治に問う越前を振り返り、蒼白な顔で告げた。
「・・・越前。薫が・・・」
 そして、腕に残ったドレスを差し出す。
 越前は反射的にドレスを受け取って、けれどその存在の不気味さに顔を顰めた。
「ねぇ、貞治王子、今のは―――」
「判らない。一体何が起こったんだ・・・」
 貞治はよろよろと立ち上がり、窓際のソファに倒れ込むように座りこんだ。
 馬の背で抱き締めた背中も、腕に抱いた重さも、そして、触れた口唇の温かさも。すべて、現実だったハズだ。
 それなのに、今。
 不可思議な光に包まれて、薫はいなくなった。
 俺の、腕の中から。
 貞治は頭を抱えて苦悩する。
 こんな・・・こんな理不尽な事は本当に起こり得るのか?
 科学で証明されない現象を目の当たりにし、現実主義者である貞治はそれでもなんとか納得させられるような理由を探し始めた。
 けれど。
 どれだけ科学が発達しようとも、どれだけの情報を得たとしても。
 意思と反して腕の中からふわりと質量がなくなるあの感触に、背筋を悪寒が走るような不自然さと見えない悪意のようなモノを感じて。
「越前。不二は今、居たかな?」
 その目はじっと自分の手を見詰めて。
「薫は、確かに、いたんだ」
 自分に納得させるようにそう力強く言い切って。
「越前。不二を、呼んでくれないか?」
 ドレスの下から、黒い羽根が一つ舞い落ちて、けれど床に落ちる前にふっとかき消えたのには、貞治も越前も気付かなかった。





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 その頃。
 貞治の住まう城とは一山離れた、真昼でもまったく日の光の入らないほどの闇を常に湛えた森の奥深く。
「あぁ、貞治様にそんな顔をさせるのは不本意だけれど、あんなどこの馬の骨とも知れないヤツを僕と貞治様の聖域であるハズのベッドに寝かせ、あまつさえ貞治様の熱いベーゼを受けるだなんて! そんなコトはこの僕がさせません」
 緩いウェイビーな黒髪は艶やかに色めき、大きくチャーミングな目には邪な欲望を文字どおり目いっぱい湛えた、見目麗しい少年が一人。壷いっぱいに張られた水の表面に映る乾の姿をみつめなら、にっこりと微笑む。
「んふっ、でも、落ち込んだ貞治様も、ス・テ・キ」
 両手を頬の横で組み、首をかしげたその姿は犯罪的なまでに愛らしいのだ、が。
「でもあんなヤツの所為で貞治様が落ち込むだなんて、ちょっと癪ですね。・・・この世から葬り去りましょう」
 その口から零れる言葉一つ一つが悪意に満ちている。
 彼の名は、観月はじめ。この界隈では知る人ぞ知る黒魔術の使い手である。時折この事務所に顔を出しては仕事をし、そしてまたいなくなる。そして、ここは、観月が経営する黒魔術代行事務所。小さいながらも観月の実力を聞き及んで、国内外から仕事の依頼が絶えず、経営は良好らしい。何人か従業員もいるようだ。
 しかし、たまにしか姿を見せない観月のことを不審に思う者はここにはいないのか。誰一人として、観月の正体を知るものはいない。
「そうとなったら、早くさっきの小僧を探さなきゃいけませんね。あんまり頭に来たのでうっかり何処へ飛ばしてしまったのかな・・・ちょっと、赤澤っ!」
「おーう、なんだぁ? 観月」
 呼ばれたのは、赤澤吉朗。従業員の一人のようだ。観月と打って変わって、こちらはこんな暗闇の中にいるのがそぐわない明るさを窺わせる赤澤が、隣の部屋から顔を出した。
「呼ばれたらさっさとこちらに来なさい」
 冷たい観月の言葉にも臆することなく、赤澤はゆっくりと部屋から出てきた。
「・・・手はちゃんと洗いなさいって何回言えば判るんです?」
 なにやら緑色と赤色が付着した両手を、ズボンのケツの部分でゴシゴシと拭っていた赤澤の様子に、観月が青筋を立てる。
「え? 別にいいじゃん。どうせこれも洗濯するんだし?」
「・・・その洗濯だって滅多にしないのはどこの誰ですか」
 確かに、赤澤のズボンもシャツも、元が何色だったか分からないほど色んなモノで汚れている。
「ま、まぁまぁ。で、何?」
 ハハハ、と誤魔化すように乾いた笑いを浮かべながら軽く流す赤澤の反省の見えない様子に、観月は一つ溜息を吐き。赤澤には言っても無駄だと諦めたのか、本題を切り出した。
「この男を探し出してきてください」
 言いながら、傍らの壷を軽く叩くと、揺れた水面に薫の顔が映し出される。
「誰だよ、コイツ」
「知りませんよ。僕の愛する貞治王子に近付いた目障りなハエみたいなモノです」
 愛する、と観月がうっとりとした表情で告げた時、微かに赤澤の表情が苦しげに歪んだのは、光の一筋も射し込むコトのないこの暗闇に浮かぶ、頼りない蝋燭の火が揺れた所為か。
「ふぅん、で、コイツ、何処にいるの?」
 その声に、感情の裏側は決して見えない。
「・・・それを探せ、と言っているんです」
「おいおい、そんな場所もわかんねぇのに探せるかよ」
「貴方だって一応この国の一族でしょう、それくらいできなくてどうするんですか。情けない」
 この国、とは。聖ルドルフ。聖、とは名ばかりの暗黒に彩られた魔界の王国、一億国民総魔術師と言う世にも恐ろしい国である。しかし、それだけの人口がいれば、もちろん出来損ないの魔術師もいるもので。
「俺がそういうの苦手だって知ってんだろう? 俺は物質重視だっての」
 力は強く、体つきもしっかりとした赤澤は、力仕事や目に見える仕事に関してはすこぶる優秀であったが、目に見えない魔術に関してはからっきし駄目だった。
「まったく、いつまで経ってもしょうがないですね。・・・金田くんはいますか?」
「あ、はい」
 赤澤が先ほどまで居た部屋から、今度は人の良さそうな青年が顔を出す。
「君は、確か。失せ物探しなどは得意なほうでしたよね?」
「えぇ、まぁ」
「申し訳ないですけれど、赤澤の仕事を手伝ってもらえませんか?」
「あ、でも・・・」
「大丈夫、貴方ならできますよ」
 にっこりと観月に微笑まれて、金田は困ったように頬を染めて俯く。
「見つかったら、すぐに僕に連絡をするか、ここまで連れて帰ってください」
「コイツ、捕まえてどうすんだよ?」
「・・・あなたには関係ないでしょう?」
 つい数秒前まで金田に見せていた笑顔が嘘のように、観月は表情を氷に変えて赤澤に向き直る。
「・・・ちっ」
「判ったのならさっさと仕事をしなさい。・・・金田くん、よろしく頼みますね」
 そう言い残して、観月はまた何かを考えるように黙り込むと、先の見えない暗闇の奥へと歩き去った。
 残された金田と赤澤は。
「あ、赤澤さん、あの・・・どうしましょう」
「どうするっつったって、行くしかねぇだろ? オマエ、さっきのヤツの居場所判るのかよ?」
「はぁ、えぇっと・・・ちょっと待ってください」
 そう言いながら、先ほど観月が使っていた壷を覗き込む。
 そこには既に薄れ始めた薫の顔の残像が水面に揺れている。その残像に対してぶつぶつと呪文のようなモノを呟いて。
 ふわり、と手から立ち上った気体で水面を撫でると。
 ぼやぼやと何やら建物が浮いて見えた。それは、作りは質素ながらもしっかりとした土台を感じさせる、木造二階建てと思しき民家。
「・・・赤澤さん、これ、判ります?」
 金田が言いながら指差す壷の中を覗き込んで、赤澤が首をかしげる。
「どこだこれは? もうちょっと判りやすい、目印とかねぇのかよ?」
「そうですね・・・これならどうでしょう」
 壷の上で、金田がパチンと指を鳴らすと、その木造二階建ての建物がまるで縮尺を変えるように小さくなっていく。それと同時に、その建物の周囲の地形が露になる。
「あ、ここにある電気屋、見覚えあるな」
 赤澤が、民家の隣りにある建物を指差した。その瞬間に、水面には波紋が広がり絵が揺らぐ。
「そうだ。3丁目の電気屋だよ。・・・ってことは、ここにいけばソイツがいるのか?」
「・・・判りませんけど、多分、何か手がかりがあるんじゃないか、と」
「よっし、じゃあとりあえずそこに行くか!」
 目に見える目的がはっきりして、俄然赤澤のやる気に火がついた。その様子をなんだか複雑そうに、けれどそれでも微笑んで金田は赤澤を見つめる。そんな金田の表情に赤澤は気づく素振りもなく。
「おーい、観月ー、行ってくるぜー」
 大声で叫んでから、赤澤と金田が部屋を後にしても。
 また、何かを仕込んでいるのだろうか。部屋の奥に引っ込んだままの観月が出てくる気配は、ない。
「なぁ、金田」
「なんですか?」
「観月って、普段何してるんだと思う?」
 赤澤は、観月の消えた方角をちらりと見て金田に問う。
「え、普段ってどういうことですか?」
「ほら、あいつ、ここには時々しかいねぇじゃん?」
「はぁ、まぁ・・・でも、他でお仕事してらっしゃるんじゃないですか?」
「いや、俺さ、見たことあんだよ。あいつ、客と会うときは絶対黒ずくめの服で顔も隠すじゃん? それがさー、一回だけ、床にひきづるくらいの真っ白なドレスで頭にはティアラまでつけてたんだよ」
「えぇっ!」
 あまりの予想外な発言に、金田は驚きの声を上げる。
 観月が消えていった扉の奥、そこは誰も入れないよう物理的にも呪術的にもロックがかけられていて、赤澤と金田にとっては未知の領域。一体どこに繋がっているのか、何があるのか。
「そうとう焦ってたのか、俺に見られたことも気づいてなかったみたいだし、その後すぐにいつものあの黒いのに着替えて出てきたから。どうしてそんな格好してたのかつい聞きそびれちまって聞いてないんだけどな」
 言いながら、その時の観月の姿を思い出してでも居るのか、赤澤の顔に微笑が浮かぶ。
「どっかのお姫様みてぇで、すっごいかわいかったんだよなー」
 夢見心地な赤澤の表情に、金田はその顔に悲しそうな目をした笑みを見せるが、そんな金田の表情に赤澤が気付く術もなく。
「ほら、ここのお姫様、めったに公の場所に顔見せないらしいじゃん? もしかして、その姫様が観月だったりして?」











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