Blindly Mind #2
手塚×海堂前提 忍足×海堂




 ようやく陽射しが傾きかけた頃。
「よぉし、今日はここまで。全員整列!」
 竜崎先生の声がテニスコートに響く。乾先輩とダブルスの調整をしていた俺は、体を起こして首筋に伝う汗を拭った。
 クラブハウス寄りのフェンスの側。いつもの集合場所に並べば、ジャージ姿ではあるものの練習には参加していなかった手塚部長が竜崎先生の横に立っている。
「まだ関東大会も途中だ。気を引き締めて油断せずに行こう」
 手塚部長の言葉に、部員全員が声をそろえて返事をする。
「レギュラーは特に、コンディションを整えておくように」
 今度は、ちょっとふやけて少し笑いを含みながら3年のレギュラー連中が思い思いに返事をするのを、相変わらず手塚部長は少し眉間に皺を寄せながら不機嫌そうに見ていて。
「では、解散っ」
「おつかれっしたっ」
 部員全員の挨拶の後。
 手塚部長と目が合って。
「海堂は、少し話があるからこの後残れ」
 帰り支度にざわつき始めた中、そう呼び止められた。
「・・・ハイ」
 まだ他の人間が居る前で部長が俺を呼び止めるなんて珍しくて、思わず心臓が高鳴る。
「おい、マムシ、部長に何やったんだよ?」
「あぁ?」
 桃城も珍しいと思ったのだろう。からかい混じりの声に俺はカチンときて桃城を睨みつけた。にやにや笑う桃城を怒鳴りつけようと思った瞬間、視界の隅で俺をじっと見ている手塚部長の姿がちらりと見えて。
「ちっ」
 俺は小さく舌打ちをして、桃城に背を向けた。
「あ、おいっ、海堂?」
 拍子抜けしたような桃城の声が背中から追ってくるのを、無視して。
「なんスか?」
 あくまでも平静を装って部長を見上げる。
 混ざった視線が、少しだけ、揺らいだ。
 けれどその意味はわからなくて。まだコート上に残っていた部員達から離れるように歩き出した部長の後について歩けば、コートからは死角になるフェンス脇の大きな木の陰に連れて行かれた。
 射抜くみたいに鋭い部長の視線に晒され、俺はその目を直視できなくて俯く。足元に落ちた影の中、部長のテニスシューズの先端が白く際立つ。汚れのないその白さが、ぼんやりと部長らしいなと思っていると。
「海堂」
 静かに自分を呼ぶ声につられるように目線を上げれば、その目には強さと毅然さしか見えない。やっぱり部長の心が何処にあるのかなんてわからなくて、ただ漠然と不安だけが募る。
「なんスか?」
「・・・この後は、どうする」
「え?」
 少し言い澱んで続けられた言葉の意味を図りかねて、思わず疑問符を返すと。
「今日も、自主練をするのか?」
 初めて、手塚部長にそんなことを聞かれた。どうして、そんなことを聞かれるんだろう。少しは部長も俺に何かしらの感情を持ってくれているんじゃないか、なんて。思わず期待しそうになるけれど。
「あ・・・いえ、今日はちょっと、予定があるんで・・・」
 今日は。忍足さんと約束をしたばかりだ。
 今まで、手塚部長の方からそんなことを言ってきたことなんてないのに、なんでこの日に限って。
「・・・そうか」
「え、あの、部長」
「予定があるなら、いいんだ。呼び止めてすまなかった」
 部長は、そう言うなり俺の方をもう一度見ることはなく、背を向けてしまった。







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 少し遅れて部室に戻ると、手塚部長は菊丸先輩と不二先輩になにやら囲まれていた。話の内容まではよく聞こえなかったけれど、どうやら二人にどこかへ誘われていたらしい。それを横目に見ながら、俺は帰り支度を済ませると挨拶をして部室のドアに向かう。
 その姿は部長にも当然見えているハズだけれど、声をかけられることはなくて。なくて当たり前なのにそれを寂しいと感じる自分にまた落ち込む。
 帰る途中はずっと、さっき見た手塚部長の目が頭から離れなくて。
 射抜くような視線、毅然さ、そして目が合った瞬間に見えたような気がした手塚部長の何か。
 結局、何も判らなかったのだからいつもと変わらなくて、むしろ何かが見えたような気がした事自体が自分の気のせいだったのだろう、と面白くもない結論にしか行き着かなかったけれど。
 家に着くなり、俺は汗をかいた体も、グズグズした自分の気持ちも気に入らなくてまっすぐシャワーを浴びに風呂場へと向かった。蛇口を捻って出てきた冷たい水が体に心地よくて、俺はしばらくそのまま冷たい水を頭からかぶる。
 いつもは、部室で二人きりになってからしか声を掛けてこなかった手塚部長が、今日は部活終わった直後に声を掛けてきた。たったそれだけのことなのに嬉しがろうとする自分に笑ってしまう。
 そんな自分を押さえつけるみたいに、徐々に奪われていく体の熱と一緒に高揚したがる気持ちを冷ましていく。
 手塚部長が俺を抱くのは、俺と同じ気持ちだからなんかじゃない。俺があの人のことを好きなくらい、あの人が俺のことを好きじゃないことくらいわかっているから、だったら最初から期待なんかしちゃいけない。
 それは、手塚部長に対して失礼、だろ。
 ただ、たまたま。俺を少しだけほかの人とは違う場所に置いているだけだ。
 下を向けば、濡れた前髪が視界を覆う。
 遮られた視界は、まるで俺の今の姿。
「くそっ」
 そんな暗さを跳ね除けたくて、俺は勢いよく髪を掻き上げた。





「薫。出かけるの?」
 いつもは洗いっぱなしの髪の毛をドライヤーで乾かしていると、通りかかった母さんに声をかけられた。
「あ、うん」
「晩御飯は?」
「家で食べる、と思う」
「そう、あんまり遅くなるようなら連絡してね」
「うん」
 最近、母さんと目を合わせヅライ。理由なんか判ってる。
 罪の意識。
 手塚部長とそういうことをし始めてからは、特に。時々帰りが遅かったり、急に帰らなかったりする俺のことを、責めるでもなく携帯メール一つで信用してくれてる母さんには、結局嘘をついてることになる。
 鏡越しにちらりと伺えば目が合って、にこりと微笑まれて。
 思わず、うつむく。
 それ以上何も言わない俺に、ちゃんと髪の毛は乾かして出かけるのよ、とだけ言って立ち去った母さんの背中を横目で見送った。
 誰にも言えない、俺達の関係。
 それが、時々、ひどく重い。手塚部長は、そんな気分になることなんてないのかな・・・そう思って。思ってから、俺は苦笑する。
(あるわけねぇじゃん、手塚部長は)
 別に、俺をどうこう思ってるワケじゃねぇんだから。
 瞬きを繰り返して、気持ちを散らす。前を見れば、鏡に映った自分の情けない顔に吐き気がするから、下を向いた。
 裸足の爪先を見下ろしながら、ドライヤーから吹き出る音に耳を塞がれて。アタマの中を空っぽにする。考えない、考えない。今は。
「よしっ」
 手櫛で髪を整えながら十分乾いたのを確認して。ドライヤーのスイッチを切って部屋に戻った。
 時計を見れば、忍足さんとの約束の時間までもう間が無い。俺は少し慌てて支度をした。
 本当は、迎えに来てもらうのは苦手だ。今まであまりトモダチ付き合いをしてこなかったせいもあるけれど、落ち着かない。準備ができてから待ってる間の、ぼんやりとした時間が手持ちぶさたで何をしたらいいのか解らなくなる。かといって、ギリギリに準備をして相手を待たせてしまうわけにもいかないから、やっぱり早めに支度をしてしまうのだけれど。
 微妙な時間つぶしに、手にした携帯をいじっていると液晶画面がメールの着信を告げる。
「あ、忍足さん・・・」
 受信メールを開いて中身を見れば、すぐ側のコンビニのそばまで来ている旨を告げる内容で。
 俺は、立ち上がってラケットやタオル一式が入ったスポーツバッグを担いで部屋を出た。
「いってきます」
 玄関で小さく呟いて外に出れば、ちょうど角を曲がってくる忍足さんの頭が見えた。
 忍足さんもすぐに俺に気付いて。片手を上げて挨拶をされたから、俺も頭を下げる。当たり前なのだけれど、私服姿の忍足さんが見慣れなくて思わず視線をずらしてしまう。そんなことぐらいで照れるなんてガラじゃないのに。
 そう思っていたら。
「薫ちゃんのジャージ以外の私服って、初めてやんなぁ」
「あ。同じ・・・」
「ん?」
「今、同じこと考えてたッス」
 俺がぼそっと呟けば、忍足さんの手が、くしゃり、と俺の髪をかき混ぜた。
 見上げた忍足さんの顔には柔らかな笑顔が浮かんでいて。
 ふと、思った。忍足さんは、すぐに思ったこと、考えてることを言葉にして伝えてくれて、こうして俺に触れてくれるから、安心するんだなって。
「ほな、行こか」
「ハイ」
 忍足さんとは対照的に、その心が見えない手塚部長の顔が浮かんで。また、グズつきそうになる気持ちを振り切るように、忍足さんの隣に並んで歩き始めた。











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