I Lost Words. #4




 大石が待ち合わせのファーストフード店の窓際に陣取り、ウィンドウの外の人の流れをぼんやりと眺めていると。
「やぁ、久しぶりだね、大石」
 背後から声を掛けられた。
「不二!」
「全然変わらないね、なんだかほっとするよ」
 常に笑顔を浮かべた柔和な印象は、出会った当時から変わらない。けれど、不二周助がその印象通りの人物ではないことも大石はよくわかっていて。
「不二も相変わらずだな」
 言って笑って見せる。
 肩を並べて座り、まもなく秋の気配を感じさせる街並みを眺めながらしばらくお互いの近況や世間話をして。
「でも、大石から連絡くれるなんて珍しいね」
 不二が、確信に触れた。
「――――英二の、ことなんだが」
 少し言い澱んで、大石が菊丸英二の名を告げると。
「あぁ。海堂から、聞いてるよ」
 不二の声のトーンが、一段階下がる。
「何が、聞きたい?」
「英二の、あの発作のようなものは・・・・・・病気なのか?」
 大石の脳裏には、先日見た英二の姿が蘇る。うずくまり、肩を震わせる英二に、大石は何をしてやることもできなかった。それが、大石の心を重くふさいでいた。
「病気、と言えば病気かもしれないけれど。体ではなく、心の病気だろうね」
「心の、病気」
「英二の身に何があったか、は海堂から聞いてるよね?」
「あぁ、だいたいのことは」
「だったら、わかるだろ?」
 不二の目が、細く眇められる。いつもの笑顔は欠片も浮かんでいない。
「思い出したくもないよ、あの頃のことは。見ていられなかった。いつも明るく笑ってた英二がふさぎこんで、話もしないで。どんなに心配で、助けてあげたくても、僕には何も出来なかった。ご飯も食べなくて、どんどん痩せていって。しばらくは実家で、ひきこもってたのかな。それから2ヶ月くらい経った頃。突然、いつもの英二に戻ったんだ。僕達はみんな安心した。あぁ、英二は立ち直ったんだ、って」
 不二が、まっすぐに大石を見詰める。
「でもね、そんなのはぬか喜びだった」
 周囲の喧騒にはまったく似合わない、冷たく静かな不二の声を大石はただ黙って聞くことしかできない。
「旧校舎の非常階段裏。昼間でもほとんど人も通らないようなところだよ。そこで、英二がひどい格好で寝てるのを海堂が見つけたんだ」
「海堂が?」
「あぁ。それで、俺に連絡をくれたんだよ。英二の様子がオカシイって。で、二人で英二を起こして。話を聞いたら」
 不二は、ふぅ、と一つ息をついて手元の紙カップから既に冷めかけたコーヒーを一口飲んだ。
「言うんだよ。知らない人とえっちした、って。多分口でさせられたんだろうね、口元は精液に濡れたまんまにこにこしながら。あの時に初めて気がついた。あぁ、英二の心はどこかが壊れてしまっているだって。壮絶、だったよ・・・あの英二の雰囲気は」
 顔を覆うように俯く不二の言葉が、大石の胸に重くのしかかる。
「もっと早く、英二の変化にきちんと気付いていれば、英二を助けてあげられたかもしれないのに」
「不二は、それで」
「だから今年、心理学科に入り直した」
 不二の顔には、何かを決断した強さと同時に暗く思いつめた色が濃い。
「多分、英二は自分の身に起きた出来事を全て正当化するべく、無意識に同じ行為を繰り返そうとしているんだ。自傷行為に近いね。傷ついた場所を、その傷がなくならないように自らえぐり続けることで心を守ろうとする行為。だから、英二は」
 不二が、ふ、と視線を上げる。
「セックスを、求めただろう?」
 自嘲にも似た薄幸な笑み。
「僕も、当然誘われたよ。で、断ったら、あの発作だ。最初は焦ったけどね」
「誰にでも、そうなのか」
 絞り出すような大石の言葉に、不二はゆるく首を振る。
「一応、最近は自分に優しい人を選んではいるみたいだし、僕も多少は警戒しているんだけどね。さすがに毎日一緒にいられるわけじゃないから・・・・・・悔しいけど」
「不二」
「僕が英二を抱いて、助けてあげられるならいくらだって抱いてあげるよ。だけどそれは違うから」
 机の上、組まれた不二の細い指にぎゅ、と力がこもる。
「海堂が、いいお手本だ」
「え?」
「海堂は、すごいよ。無条件の優しさっていうのかな、そういうのを知ってるんだろうね。見ただろう、海堂が英二をなだめるのを」
「いや、すぐに部屋を出てくれって言われたから」
「そうか。それは残念」
 柔らかく微笑んでいるのにそれはあまりにも辛い笑みで、大石は不二の顔から視線をそらす。
「まるで母親のように英二を抱き締めてね。頭を撫でながらなだめて。そうすると不思議なくらい英二が落ち着いていった。そんなことが出来たのは結局、海堂だけだった。それを見た時に、あぁ僕では駄目なんだ、って思ったよ」
 体から力を抜いて背もたれに体を預けて視線を宙にさまよわせた不二の声は、まるで自分を責めているようで。
「僕はどうしても、英二をこんな風にしてしまったヤツらへの怒りが消せない。だから、多分。英二にその気持ちがどこかで伝わってしまうだろうね。そのせいで、英二は僕の中に英二を犯したヤツらと同じモノを感じてるんじゃないかと思う。だから、いつまでたっても僕は、また英二の心を傷つけてしまうんじゃないかって怖くて英二と二人きりになれない。その点海堂は、そんな自分の感情よりももっと英二のことを心配しているんだろう。―――僕には出来なかったことだ」
 状況が露になるにつれて、大石の気持ちも暗く立ち込めてくる。
「悲しいけれど、今の英二はオトコとセックスすることで心のバランスを保ってる。それを無理矢理取り上げることは僕にはできなかった・・・・・・よくないことだっていうのは判りきっているのに」
 ウィンドウの外に向けられていた視線が、大石をまっすぐに見据えた。
「それで。大石は、そんな話を聞いて。どうしたいの?」
「え」
「今更、英二の前に顔を出して。君に何ができるの?」
「不二・・・・・・怒っているのか」
「別に、怒ってはいないよ。ただ、今になってどうして英二にかまうのかって聞いてるんだ」
 漂う空気は堅く、大石は英二を取り巻く現実の重さを、ようやく認識し始めていた。 
「海堂は。大石になら英二を助けられるんじゃないか、なんて言ってたけど。僕はそれほど人を信頼してないからね。君の狙いがなんのか、確認しておきたい」
「狙い、だなんて。そんなこと考えてもいなかったよ。・・・・・・でもな、不二。俺にとって英二が大切な存在なのは昔から変わってないよ。確かに、最近は忙しさにかまけて連絡もしていなかったけれど、それでも俺の中に英二の存在はきちんとあった。まさか、そんなことになってるなんて全然知らなくて・・・・・・」
 言葉を失った大石を、不二は冷ややかに見つめる。
「そうだね、大石はいつも英二だけでなく、誰にでも優しかった。でもね、大石」
 そこで言葉を切って。
 射抜くような不二の目が、大石の視線を遮った。
「今の英二は、そんな生ぬるい優しさだけじゃ、無理だよ」











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