I Lost Words. #7




 俺は、どうするべきだったのだろう。
 大石は、冬の気配濃厚な重苦しい灰色の雲が覆う空を見上げて溜息を吐いた。
 海堂を呼び止めて告げる言葉を大石は見つけられず、そんな自分の不甲斐なさと同時に海堂に投げつけられた言葉が大石の中にじわじわと波紋を落としていた。
 乾と海堂の関係を、男女の普通の恋愛と同じように思っていたわけではない。
 けれど、英二から聞いた「二人は付き合っている」という言葉に基づくなら、当然、乾が英二を抱く、という行為が不誠実なものであることは判っていた。
 しかし。
「なんで俺がなじられなきゃならないんだ・・・・・・」
 まるで大石を責めるような海堂の言葉に、大石は頭を抱えたい気分になっていた。
「俺が英二をどうにかしてればって・・・・・・俺に、今以上の何ができるって言うんだよ」
 さっきまで海堂が座っていたブランコに手をかけた。キィと小さく軋んで揺れるブランコに、浅く腰を下ろす。
 不二のように専門的知識を身につけるために自分の生き方を変えることもできない。
 海堂のように、優しさだけを差し出して英二を安心させてやることもできない。
(今の俺にできることなんて。英二が俺に会いたい時に、こうやって会いにきてやることくらいしかないじゃないか・・・・・・)
 それとも。
「まさか、海堂は」
 海堂の言葉が含んでいた意味に、大石はようやく気付いてどきりとした。
 脳裏をよぎった可能性に、大石は何かを見透かされたような気分になる。
(俺は、英二をどうしたい?)
 ふとよぎった言葉に、大石は青ざめる。どうしたい、と考えること自体が不純なのではないか。友達なのだから一緒に居たい、それだけでいいじゃないか、と。
 それではまるで。
(俺が、英二を抱きたいって言ってるようなもんじゃないか!)
 海堂が言い濁したのは、このことだったのだ、と。
 思いついたと同時にそんな感情が自分の中に存在していることに気づいて狼狽して、寒空の中、海堂が消えた方向をじっとみつめたまま佇んでいると。
「おーいしっ」
 部屋着に薄手の上着を引っ掛けただけの状態の英二が、手を振って駆け寄ってくるのが見えた。
「英二」
「もー、遅いから心配しちゃったよー」
 走ってきた勢いそのまま、英二は大石に体ごとぶつかる。英二の体を受け止めながら、こんな様子は中等部の頃から変わっていないのに、と思えば思うほど大石の心は暗く黒い雲が覆っていく。
「もうすぐってメール来てから全然来ないんだもん!」
「ごめんごめん」
 無邪気にさえ見える英二のふくれっつらに笑顔で返しながら、大石の心はどんどん曇っていくようだ。まるで、目の前にあった太陽さえ厚い雲に隠れて見失ってしまうようなに徐々に色を失い、濃淡が消えていく。
「さっきは海堂が来てすぐに帰っちゃうしさー」
 このまま、全てを見なかったことにして何もかも曖昧に誤魔化すことはできないんだろうか。そんな思考が一瞬脳裏を過って、けれどそんなことを思った自分に大石は嫌気がさした。
(俺と英二の関係は、一体なんなんだ)
「大石? ・・・・・・どうかしたの?」
 すぐ近くに、自分の腕の中にある英二の存在。
 今だけじゃない、彼は常に手の届く距離にいた。
(けれど、俺はすべてに言い訳をしていたんじゃないだろうか)
 たとえばそれは、英二が会いたがっているから会いに行く。英二が心配だから側にいる。その全てが。
(己の中にある気持ちを誤魔化したかった、だけ・・・・・・?)
 フルカラーの画像が、徐々に色褪せるような錯覚。
 表情をこわばらせる大石を、英二は首を傾げて見上げる。
「英二・・・・・・」
 その名を口にして、呼んで。
 大石は、自分の中にすでに存在していた違和感を、はっきりとそこに感じた。
 風が大石の頬を撫で、英二の髪の毛を揺らすのをしばらくじっと見つめて。
(だからって、何を言ってあげるべきなんだ・・・・・・)
 違和感の在り処がわかったところで、大石には最良の言葉が見つけられない。
「ここで海堂に会ったよ」
 結局、口にできたのはさっき見た事実。けれど、違和感を認識してしまったせいか、その声は大石自身が思っていたよりも強張って固く、英二の頬がぴくりと引きつった。
「―――海堂は? 帰っちゃったの?」
 大石は、英二をじっと見つめる。英二の瞳はがぶれる。
「英二。海堂に話しちゃったんだね?」
「あ・・・」
 開いた英二の口から、力ない言葉が小さく漏れた。
「だって。海堂が怖い顔して聞くんだもん。嘘つけなかった」
「それで、海堂は何か言ったのか?」
 不安定に揺れる、英二の視線。
「何も。何も言ってくれなかった。ただ辛そうな顔してて。―――ねぇ、大石。もしかして海堂、もう俺に会いにきてくれないかな」
「英二」
 急に英二の声のトーンが上がる。
「でも乾はちゃんと海堂のこと好きだよ、そんなのわかってるよ、でも乾は俺にも優しかったんだよ、それだけなんだよ、それなのに海堂は俺の顔を見てとっても辛そうだった。なんでかにゃー」
「英二、落ち着いて」
「えへ、だってね、大石聞いて。海堂は俺に何か言いかけて、でも悲しそうな顔をして口を閉じちゃった。海堂にあんな顔させたかったわけじゃないのに。ずっと海堂は俺にすごい優しかったんだ。それなのに俺は海堂に何てことしちゃったんだろ」
「待て、英二。とりあえず部屋に戻ろう」
「俺も海堂のこと大好きなんだよ」
「判ったから」
「大好きなんだよ。それなのに」
 いつもよりも早い英二の口調。いつもよりも少し高い声のトーン。大石は何かがおかしいと気付いて英二をなだめようとするけれど。
「大石、大石、俺ね―――」
 しつこいほどに大石の名を連呼する英二の視線は、目の前の大石の姿は捉えていなくて。
「英二!」
 大石は英二の頭を掴んで無理矢理に視線を合わせた。
 大石の向こう側を見ているように焦点の合っていなかった英二の眼が揺れて。
「大、石?」
 焦点が、合った。その瞬間に言葉は途切れて、見詰め合う。ぶれていた視線がきちんと大石の目を捉えて、お互いの瞳を覗き込むようにしばらくそうしていて。
「英二?」
 そして、英二の目から溢れたのは、涙。
 声もなく涙を流す英二を、大石は抱き寄せた。
 大石が思っていた以上に薄着だったらしい英二の体は、冬の空気に晒されて冷え切っていた。その冷たい肩を抱き締める。
「とにかく、部屋に戻ろう」
 大石の言葉に、英二は小さく頷く。
 背中に回された英二の手が、きゅ、と握り締められた。











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