恋の領域、愛の行方 #9




「アンタ、こんなトコで何してんの?」
 聞こえた声に薫が顔をあげれば、大きな、黒目がちの釣り目の少年が見下ろしていた。
「・・・誰?」
 見覚えのないその顔に、薫が首を傾げる。
「何。越前くん、コイツと知り合いなの?」
「いや、知り合いじゃなくて知ってるだけ」
 隣に立つ伊武を見上げてそう告げると、越前はもう一度薫に視線を向けた。
「―――ねぇ、貞治王子がアンタのこと探してるんだけど」
「え・・・っ」
 貞治王子、と。その名前に薫が息を飲む。
「越前くん、どういうこと?」
 見えない話の展開に、伊武が眉を顰める。
「貞治王子がまた拾ってきた」
 簡潔にそう説明すると、越前はしゃがみ込んで床に倒れた薫と目線を合わせる。
 何も言わずにじっとその顔を見て。
「橘さん、このヒト、とりあえずここに預かっておいてもらってもいい?」
「あぁ、それはかまわないが・・・」
 いまいち状況について来れていないらしい橘が、突然話をふられてあいまいに頷くと。
「ちょっと、城に戻って貞治王子に連絡入れてからまたきます」
 言うなり、越前は踵を返して部屋を後にする。
「あ、待ってよ越前くん。もうちょっとちゃんと説明してくれなきゃわからないんだけど」
 その後を、伊武が追う。
 結局、橘の部屋に残ったのは、当初からこの部屋に居た橘と薫の二人。
「えぇっと・・・ちょっと事情がよくわからないんだけど」
「あ・・・ごめんなさい」
「まぁ、いいさ。とりあえず、越前くんが戻るまではここにいてもらわなきゃいけなくなったし。もう少し休もう?」
 にこりと優しい笑みを浮かべる橘に抱き起こされて。
「ほんとに、ごめんなさい」
 うなだれる薫をベッドに座らせ、大きな手で薫の頭を撫でた。
「とりあえず、ちょっとでも体調良くならないと」
「・・・ハイ」
 二度、三度と。薫の頭を撫でてから、橘は部屋を後にした。




 ようやく一人になって、薫は溜息を吐いた。
 橘の細められた優しい目を思い出して、瞼を閉じる。頬に触れた橘の手は暖かくて大きくて。どうしたらいいのかわからなかった。もしかしたら橘ならば、話を聞いてくれるかもしれない。自分の秘密を話しても親身になってくれるかもしれない。薫とてそう思わないわけではなかったが。
(だからって・・・簡単には話せねぇよ)
 その時、突然の腹部の痛みに薫は息を詰める。
 座っているのさえ辛くて、そのままの態勢からベッドに倒れた。
(ヤベェ、もうすぐあの日かも・・・)
 薫は下腹部を軽く手で押さえて、体を丸める。いつもの体全体がダルくなるような感覚に加え、何か違う力を強制的にかけられたらしく、脳の奥の方が鈍くズキズキと痛んで薫を不快にさせる。
 そういえば、さっき。越前と呼ばれた少年は、貞治王子に連絡を入れる、そう言っていた。
(貞治、王子・・・)
 脳裏に、森で出会った貞治の姿が浮かぶ。
 あまりの非現実さ加減に、貞治に守られるように抱かれ馬で森を駆け抜けたことなど、まるで夢を見ていたのではないかと思っていたくらいだ。目覚めて、ここが貞治に連れて行かれた城でないと分かった時に。どれだけ抱き締められた腕は逞しく暖かで、体が感触を覚えているほどリアルな夢であっても、やはりそんな夢のようなことは起こらないのだ、と。自分のような呪われた体をしていては。
 それが。
(夢じゃ、なかったんだ)
 さっき橘に触れられた時に、思い出した。貞治に触れられた感触。
 馬の背に揺られて肌を刺激する風と、体を包むような貞治の体温が蘇る。
(また、逢える・・・)
 仄かに灯る嬉しさと同時に。
(でも、もし、バレたら・・・)
 貞治に限らず。助けてくれた橘も一緒だ、もしこの体のコトがバレたら。
 女装してる時ならともかく、こんな格好じゃあ男だって完全にバレちまう。橘はともかく、貞治は薫のことを。
(貞治王子にだけは、知られたくない)
 完全に女として認識されている以上、男だとバレた時点で嫌悪感を抱かれてしまうに違いない。
 橘も貞治も、信用していないとかそういうワケじゃない。けれど、この体は。受け入れてもらえなかった時に一番痛い思いをするのは自分だ。
 初めて触れたヒトの好意に少しだけ浮上していた薫の気持ちは、徐々に暗くなっていく。
(やっぱり、逃げなきゃ)
 薫は動かない体を無理に起こして、立ち上がった。途端に、眩暈と吐き気に襲われてしゃがみこむ。
「くっそ・・・」
 小さく舌打ちして、それでも諦めずふらつきながら扉へと向う。
 最近は女で居なきゃならない事が多くて、履きなれないズボンが落ち着かない。
(なんだって俺はこんな体なんだよっ)
 海堂は、悔しさに浮かびそうになる涙をぐっと奥歯を噛んで堪えた。


 子供の頃は普通に外にも出て、近所の友達と遊ぶこともできた。ごくごく普通の子供として育った薫は、しかしその体がコドモからオトナへと変化する過程で、たった一つだけ、有り得ないコトが起きた。
 それは、海堂家の秘された伝承。
 秘されてなお、途絶えることなく伝えられてきた昔話。
 海堂家に生まれる第一子が男児である場合、成長するに従いその体には某かの悪しき兆候が現れる、そして、悪しき兆候とともに海堂家にも悪しき運命が訪れる、と。幸いにも数百年にわたって第一子は女児であったために、半ば迷信のようにすら思われていた古い言い伝えが、あろうことか海堂家直系である薫の誕生によって再び持ち上がった。
 薫は、生まれてすぐに男の子だと分かると親戚一同に捨てられそうになった。
 そんな、呪われた赤ん坊は捨ててしまえ、と。
 薫の育った町は、まだそれほど分明も発達しておらず、そういった昔からの風習や言い伝えを信じる風潮が強い。災いを呼び込む存在は排除すべきだ、と。なんの慈悲もなくそう言う皆を、必死で止めたのが薫の実の両親である。当然だ。生まれたばかりの子供を捨てられそうになって黙っている親などいはしない。
 悪しき兆候が現れるまでは、となんとか説得に成功し、我が子を守った薫の両親は、暖かい目で薫の成長を見守った。平和な毎日に、両親は安堵した。少し無口で大人しいけれども健康に育つ薫に、そんな古めかしい言い伝えなど当の両親すら忘れかけていたころ。成長するにつれて体調不良で学校を休む日が増え、部屋にこもり出した息子を見て、海堂夫妻の心を暗く静かな予感が襲う。
 まさか、息子の体に何か。悪しき兆候、と呼ばれるものが一体具体的にどういうことなのか。何も伝えられていないせいで調べる術もない。
 不安の中、薫は。
 とうとう、倒れた。
 元来負けず嫌いで努力家な薫は、体調不良を推して学校に行く途中に。意識を失った。
 そして、運び込まれた病院で撮られたレントゲン写真に写ったものを見て、薫も海堂の両親も、そして担当の医者も言葉を失った。 
 男性体であるはずの薫の下腹部に唐突に存在する白い影の正体。



 子宮が、作られていた。











<-back next->


inserted by FC2 system